大谷翔平の甲子園出場は2回!成績・結果と3年夏に出ていない理由、藤浪晋太郎からのホームランまで

大谷翔平の甲子園出場は2回!成績・結果と3年夏に出ていない理由、藤浪晋太郎からのホームランまで

大谷翔平は高校時代、花巻東高校の選手として甲子園に2回出場しています。

出場したのは高校2年だった2011年夏の第93回全国高校野球選手権大会と、高校3年だった2012年春の第84回選抜高校野球大会です。大谷の出身地である岩手県奥州市の公式年表にも、2011年8月の夏の甲子園、2012年3月の春の甲子園への出場が記録されています。

  • 甲子園出場は高校2年夏と高校3年春の2回
  • 2大会とも1回戦敗退で、甲子園での勝利は0
  • 高校3年夏は岩手大会決勝で敗れ、甲子園には出場していない
  • 甲子園唯一の本塁打は、藤浪晋太郎から放った先制ソロ

そのため、「大谷翔平は甲子園に出ていない」という情報と、「大谷翔平は甲子園に出ている」という情報が混在しやすくなっています。正しく整理すると、高校時代の甲子園出場は2回。ただし3年夏の甲子園には出ていないというのが答えです。

この記事では、大谷翔平が甲子園にいつ、何回出場したのかだけでなく、帝京戦と大阪桐蔭戦の投打成績、藤浪晋太郎との対決、甲子園でのホームラン、優勝や決勝進出の有無、高校最後の夏に甲子園へ届かなかった理由まで順番に確認していきます。

目次

大谷翔平の甲子園出場回数は2回|まず結論を一覧で確認

大谷翔平の甲子園について最初に押さえたいのは、「2年夏」と「3年春」の2回出場していることです。

一方、最も注目を集めていた高校3年夏には甲子園へ出場していません。この違いを押さえておけば、「甲子園に出たのか、出ていないのか」という疑問はほぼ解消できます。

学年大会対戦相手結果
2011年高校2年第93回全国高校野球選手権大会帝京7-8で1回戦敗退
2012年高校3年第84回選抜高校野球大会大阪桐蔭2-9で1回戦敗退
2012年高校3年夏の甲子園出場なし岩手大会決勝で盛岡大付に3-5で敗退

2011年夏の花巻東対帝京は8月7日に行われ、帝京が8-7で勝利しました。2012年春の大阪桐蔭戦は3月21日に行われ、大阪桐蔭が9-2で勝っています。

  • 大谷翔平の甲子園出場回数は春夏合わせて2回
  • 高校2年夏は帝京に7-8で敗れて1回戦敗退
  • 高校3年春は大阪桐蔭に2-9で敗れて1回戦敗退
  • 甲子園での勝利、優勝、決勝進出はいずれもなし
  • 高校3年夏は岩手大会決勝で敗れ、甲子園には出場していない

高校2年夏の2011年に甲子園へ初出場

大谷翔平が初めて甲子園に出場したのは、花巻東高校2年だった2011年夏です。

第93回全国高校野球選手権大会で岩手代表となった花巻東は、8月7日の1回戦で東東京代表の帝京と対戦しました。試合は点の取り合いとなり、最終的に花巻東が7-8で敗れています。

この試合で大谷は3番・右翼手として先発しました。

途中から投手へ回り、甲子園のマウンドにも立っています。スコア記録では先発の小原大樹が3回1/3を投げた後、大谷が5回2/3を投げています。

高校3年春の2012年に2度目の甲子園へ出場

2度目は高校3年だった2012年春のセンバツです。

花巻東は第84回選抜高校野球大会に出場し、3月21日の1回戦で大阪桐蔭と対戦しました。大阪桐蔭の先発は藤浪晋太郎、花巻東の先発は大谷翔平でした。

大谷は投手として先発するだけでなく4番も務め、藤浪から先制ソロ本塁打を放っています。

しかし試合は6回以降に大阪桐蔭が逆転し、花巻東は2-9で敗退しました。

高校3年夏は甲子園に出ていない

大谷翔平は高校3年春には甲子園へ出ていますが、3年夏には出場していません。

花巻東は2012年夏の岩手大会で決勝まで進みましたが、盛岡大付に3-5で敗れました。大谷にとって3度目となる甲子園出場は、県大会決勝で途絶えています。

したがって、「大谷翔平は3年のとき甲子園に出た?」という問いには、3年春は出場したが、3年夏は出場していないと答えるのが最も正確です。

大谷翔平の甲子園通算成績|投手0勝2敗、打者では1本塁打

大谷翔平の甲子園での成績は、プロ入り後の実績から想像すると意外に映るかもしれません。

甲子園では2試合に出場しただけで、投手としての勝利は0。それでも、打者として両試合で安打を放ち、大阪桐蔭戦では藤浪晋太郎から本塁打を記録しています。

甲子園2試合の投打成績一覧

大会相手投手成績打撃成績
2011年夏帝京5回2/3、105球、6安打、3失点、自責1、3奪三振3打数1安打2打点
2012年春大阪桐蔭8回2/3、173球、7安打、9失点、自責5、11奪三振3打数1安打1本塁打1打点
通算2試合14回1/3、0勝2敗、13安打、12失点、自責6、14奪三振6打数2安打、打率.333、1本塁打、3打点

2011年の帝京戦について、大会スコアには大谷が5回2/3を105球で投げ、6安打3失点、自責点1、3奪三振だったことが記録されています。打者としては3打数1安打2打点でした。

2012年春の大阪桐蔭戦では、8回2/3を173球、7安打9失点、自責点5、11奪三振。打者として3打数1安打1本塁打1打点を残しています。

2試合を合計すると、14回1/3で自責点6となるため、防御率は3.77です。

投手成績だけなら0勝2敗ですが、打者としては6打数2安打で打率.333、1本塁打、3打点。高校時代から投打の両方で試合に大きく関わっていたことが、甲子園記録にも表れています。

投手としては2試合とも敗戦投手

大谷は帝京戦、大阪桐蔭戦の両方で敗戦投手として記録されています。

ただし、数字を見る際には試合内容も合わせて確認したいところです。帝京戦は5回2/3で3失点ながら自責点は1。大阪桐蔭戦も5回までは無失点で抑えていました。

甲子園0勝2敗という結果だけから、「高校時代は甲子園で通用しなかった」と判断するのは少し乱暴です。

故障を抱えながら途中登板した試合と、その年に全国制覇する大阪桐蔭との試合という背景まで見ることで、大谷の甲子園成績をより正確に捉えられます。

打者としては6打数2安打3打点

打撃では、2試合とも安打を残しています。

2011年夏の帝京戦では2打点を記録し、2012年春の大阪桐蔭戦では藤浪晋太郎からソロ本塁打。甲子園通算では6打数2安打、3打点、1本塁打となります。

後に「二刀流」で世界的な選手となる大谷ですが、高校時代の甲子園でもすでに、投手だけを見るだけでは選手像を捉え切れない内容を残していました。

2011年夏の甲子園|帝京に7-8で惜敗

大谷翔平の甲子園初出場は、2011年8月7日の帝京戦でした。

花巻東は何度も点差を追いつく粘りを見せましたが、最後は1点差で敗れています。当時の大谷は右太ももの肉離れの影響があり、岩手大会でも登板機会が限られていました。

大谷は右翼手で先発し、4回途中から登板

大谷は3番・右翼手として先発しました。

先発投手の小原大樹が3回1/3を投げ、大谷がその後の5回2/3を担当しています。投手として105球を投げ、6安打3失点、自責点1、3奪三振でした。

この試合では150キロも計測されています。

ただし、本記事では甲子園の出場歴と成績を中心に扱うため、球速については「高校2年夏の甲子園で150キロを記録した」という点だけ押さえておけば十分です。高校時代の最高球速や160キロとの違いは、大谷翔平の高校時代の球速を扱う記事で分けて確認したほうが整理しやすくなります。

6回には大谷自身が2点適時打

帝京戦では打者・大谷も存在感を見せています。

スコア上では3打数1安打2打点。6回、大谷の安打によって2点が入り、花巻東は7-7の同点に追いつきました。

しかし7回、帝京が1点を勝ち越します。

その後は両チームとも得点できず、7-8で試合終了。花巻東の2011年夏は1回戦で終わりました。

帝京戦の大谷を整理すると、次のようになります。

  • 高校2年で初めて夏の甲子園に出場
  • 3番・右翼手として先発し、途中から投手へ
  • 5回2/3、105球、6安打3失点、自責1
  • 打者として3打数1安打2打点
  • 花巻東は帝京に7-8で敗れて1回戦敗退

故障を抱えながら投打で出場し、全国の強豪・帝京と1点差まで競ったのが、大谷にとって最初の甲子園でした。

2012年春の甲子園|大阪桐蔭・藤浪晋太郎と直接対決

高校3年春の甲子園は、大谷翔平の高校時代を振り返るうえで特に有名な試合です。

相手は大阪桐蔭。エースは藤浪晋太郎でした。大谷と藤浪という高校球界屈指の右腕が1回戦から先発し、投げ合っています。

5回までは大阪桐蔭を無失点

試合序盤は花巻東がリードしました。

大阪桐蔭は5回まで0点。花巻東は2回と4回に1点ずつを奪い、5回終了時点では2-0でリードしています。

大谷自身も先発投手として大阪桐蔭打線を抑えていました。

しかし6回に大阪桐蔭が3点を奪って逆転。7回に2点、9回に4点を追加し、最終スコアは大阪桐蔭9-2花巻東となりました。

大谷は173球を投げて11奪三振

大谷は8回2/3を投げました。

投球数は173球で、被安打7、11奪三振、7四球、4死球、9失点、自責点5という内容です。

11個の三振を奪った一方で、四死球は合計11個。

大阪桐蔭打線を5回まで抑えながら、後半に走者をためて失点する展開となりました。

藤浪晋太郎から先制ホームラン

この試合で特に有名なのが、大谷の本塁打です。

2回、大谷は大阪桐蔭の藤浪晋太郎から先制ソロ本塁打を放ちました。大会スコアにも「大谷1号(ソロ=藤浪)」と記録されています。

大谷が甲子園で放ったホームランは、この1本です。

つまり「大谷翔平は甲子園でホームランを打った?」という疑問への答えは「打っている。2012年春の大阪桐蔭戦で藤浪晋太郎から1本」となります。

相手の大阪桐蔭はその年のセンバツ優勝校

この試合を考えるうえで重要なのが、大阪桐蔭がその後どこまで勝ち進んだかです。

大阪桐蔭は花巻東を破った後も勝ち進み、2012年春のセンバツで優勝しました。さらに夏の全国高校野球選手権も制し、藤浪を中心に史上7校目となる春夏連覇を達成しています。

つまり花巻東は、単に初戦で大差負けしたわけではありません。

その年に春夏両方の甲子園を制する大阪桐蔭を相手に、大谷が5回まで無失点に抑え、自ら藤浪から先制本塁打まで放っていたことになります。結果だけでなく、この対戦相手の強さまで含めて見ると試合の位置づけが分かりやすくなります。

大谷翔平と藤浪晋太郎の甲子園対決はどちらが勝った?

大谷翔平と藤浪晋太郎が甲子園で直接対決した2012年春の試合は、チームとしては藤浪の大阪桐蔭が勝っています。

藤浪は9回を143球で完投し、8安打2失点、12奪三振。大谷は8回2/3、9失点で敗戦投手となりました。

ただし、個人同士の対決だけを見ると、大谷も藤浪から本塁打を放っています。

そのため、「藤浪が大谷を完全に圧倒した」という一言だけでは試合内容を正確に表せません。

投手としては藤浪が勝利し、大阪桐蔭が9-2で勝った。

一方、打者・大谷は藤浪から先制ソロを放った。この両方が2012年春の大谷対藤浪を理解するうえで重要です。

大谷翔平は甲子園で優勝した?決勝に出た?

大谷翔平は高校時代、甲子園で優勝していません。

出場した2011年夏と2012年春はいずれも1回戦敗退だったため、甲子園での勝利そのものがありません。もちろん、準決勝や決勝に進出したこともありません。

甲子園での勝利は0

2011年夏は帝京に7-8。

2012年春は大阪桐蔭に2-9で敗れました。甲子園通算のチーム成績は、大谷出場時に限れば0勝2敗です。

「大谷翔平ほどの選手なら高校時代も甲子園で優勝していたのでは」と思われがちですが、実際には全国大会で1勝もできていません。

個人の将来性や能力と、高校野球の短期決戦で得られるチームの結果は別物だと分かる経歴でもあります。

「大谷翔平の甲子園決勝」は岩手大会決勝との混同に注意

大谷は甲子園の決勝には出ていません。

一方、高校3年夏には岩手大会決勝まで進んでいます。ここが「大谷翔平の甲子園決勝」と混同されやすいポイントです。

2012年7月26日、花巻東は岩手大会決勝で盛岡大付と対戦しました。勝てば夏の甲子園出場でしたが、3-5で敗戦。したがって、この試合は「甲子園決勝」ではなく「甲子園出場を懸けた岩手大会決勝」です。

大谷翔平が3年夏の甲子園に出ていない理由

大谷翔平の甲子園歴でもっとも混同されやすいのが、高校3年夏です。

大谷は3年春のセンバツには出場していますが、最後の夏には甲子園へ出ていません。花巻東が岩手大会決勝で盛岡大付に敗れたためです。

岩手大会決勝で盛岡大付に3-5で敗戦

2012年7月26日の岩手大会決勝で、大谷は盛岡大付を相手に先発しました。

8回2/3を投げて9安打5失点、自責点5。毎回となる15三振を奪いましたが、花巻東は3-5で敗れています。

3回には盛岡大付の4番・二橋大地に3ラン本塁打を許しました。

花巻東は9回に追い上げ、大谷自身も適時打を放ちましたが、2点差をひっくり返すことはできませんでした。

大谷の高校最後の試合は甲子園ではない

ここは時系列を正確に押さえておきたいところです。

大谷の高校生活最後の公式戦は甲子園ではありません。2012年7月26日に行われた岩手大会決勝・盛岡大付戦です。

大谷の高校野球最後の流れは、次の通りです。

STEP

3年春に甲子園出場

第84回選抜高校野球大会へ出場しました。

STEP

大阪桐蔭に初戦敗退

藤浪晋太郎と投げ合い、花巻東は2-9で敗れました。

STEP

3年夏の岩手大会へ

最後の夏、再び甲子園出場を目指しました。

STEP

準決勝を突破

岩手大会準決勝で勝利し、決勝へ進みました。

STEP

決勝で盛岡大付に敗戦

3-5で敗れ、夏の甲子園出場を逃しました。

160キロを出したのも甲子園ではなく岩手大会

高校時代の大谷を象徴する「160キロ」も、甲子園で記録したものではありません。

奥州市の公式年表では、2012年7月の第94回全国高校野球選手権岩手大会準決勝で、当時の高校生最速となる160キロを記録したとされています。

つまり、160キロを出した大会と甲子園は別です。

大谷翔平の甲子園での球速や、高校時代に160キロへ到達するまでの経緯を詳しく知りたい場合は、「大谷翔平の高校時代の球速|甲子園での最速と160キロの記録」と分けて確認すると混同しにくくなります。

「大谷翔平は甲子園に出てない」と言われるのはなぜ?

大谷翔平について検索すると、「甲子園に出てない」という言葉が候補として出てくることがあります。

しかし、事実としては2回出場しています。奥州市の公式年表にも、2011年夏と2012年春の甲子園出場が明記されています。

それでも「出ていない」と思われやすい理由は、高校最後の3年夏に甲子園へ行けなかったことが大きいでしょう。

  • 大谷翔平は高校時代に甲子園へ2回出場している
  • 高校3年春のセンバツには出場している
  • 高校3年夏の甲子園には出場していない
  • 3年夏は岩手大会決勝で敗れ、高校野球を終えている

さらに、大谷が160キロを記録したことや、高校最後の試合後に涙を見せたことが広く知られているため、それらを甲子園での出来事と記憶しているケースも考えられます。

実際には160キロも高校最後の涙も、夏の甲子園ではなく岩手大会での出来事です。

「大谷翔平の甲子園での涙」はどの試合?

「大谷翔平」「甲子園」「涙」で調べると、高校最後の夏の映像や記事にたどり着くことがあります。

ただし、大谷が高校最後の試合で涙を見せたのは甲子園ではありません。2012年夏の岩手大会決勝です。

9回、大谷は自ら適時打を放ち、三塁まで進みました。

しかし最後の打者が中飛に倒れて試合終了。三塁走者だった大谷は本塁付近で天を仰ぎ、試合後には涙を見せたと当時の記事で伝えられています。

この試合に勝てば3度目の甲子園出場でした。

したがって、「甲子園で流した涙」というより、正確には「最後の夏に甲子園出場を逃し、岩手大会決勝で流した涙」です。

大谷翔平の甲子園ホームランは藤浪晋太郎からの1本

大谷翔平が甲子園で記録したホームランは1本です。

2012年3月21日のセンバツ1回戦、大阪桐蔭の藤浪晋太郎から放った先制ソロ本塁打でした。

2回に花巻東が先制

試合は0-0で迎えた2回、4番・大谷の本塁打で花巻東が先制しました。

大会スコアでは大谷の第1打席が「右本」と記録され、試合記録にも「大谷1号(ソロ=藤浪)」と明記されています。

4回には花巻東がさらに1点を加え、2-0。

大谷は投手としても5回まで大阪桐蔭を無失点に抑えていたため、試合中盤までは投打とも大谷が中心となって花巻東がリードしていました。

甲子園通算本塁打は1本

2011年夏の帝京戦では本塁打を打っていません。

そのため、大谷の甲子園通算本塁打数は1本です。しかも相手投手が藤浪晋太郎だったことで、後年まで頻繁に振り返られる場面となっています。

高校時代全体ではほかにも多くの本塁打を放っていますが、それは「甲子園成績」とは別の数字です。

大谷翔平の高校時代全体の投打成績やホームラン数については、「大谷翔平の高校時代の成績|背番号・ホームラン・高校野球での役割」で確認すると、甲子園限定の成績と混同せず整理できます。

大谷翔平の甲子園記録を見ると二刀流の片鱗が分かる

甲子園での大谷は、投手として勝利を挙げることができませんでした。

それでも2試合とも打者として安打を放ち、帝京戦では2打点、大阪桐蔭戦では本塁打を記録しています。

特に興味深いのは、「投げながら打った」という点です。

2011年は右翼手から投手へ回り、2012年春は4番・投手として先発。後のプロ野球やMLBで確立される二刀流とは環境も役割も異なりますが、高校時代の甲子園でも投打の両方で重要な役割を担っていました。

  • 出場大会は2回
  • 出場試合も2試合
  • 投手として0勝2敗、防御率3.77
  • 打者として打率.333、1本塁打、3打点
  • 唯一の本塁打は藤浪晋太郎から記録

「甲子園で勝てなかった投手」という一面だけを見るより、投打の記録を並べたほうが、大谷が高校時代にどのような選手だったのかが分かりやすくなります。

大谷翔平の甲子園動画を見るときのポイント

大谷翔平の高校時代の動画を探す場合は、まず試合と年代を確認することが大切です。

「大谷翔平の甲子園動画」とされていても、高校3年夏の岩手大会や160キロを記録した場面が一緒に紹介されていることがあるためです。甲子園で実際に出場した試合は、2011年夏の帝京戦と2012年春の大阪桐蔭戦の2試合です。

2011年の帝京戦で見たい場面

帝京戦では、大谷が右翼手から途中登板する流れに注目です。

故障の影響を抱えながらマウンドに上がり、150キロを計測。さらに打者として6回に同点の2点適時打を放っています。

プロ入り後のように投手と指名打者を両立する形ではありませんが、守備、投球、打撃のすべてで試合に関わっていたことが分かります。

2012年の大阪桐蔭戦で見たい場面

大阪桐蔭戦で最も分かりやすい見どころは、大谷が藤浪晋太郎から放った本塁打です。

その後は大谷が5回まで大阪桐蔭打線を無失点に抑え、6回以降に大阪桐蔭が攻略していく流れまで見ると、9-2という最終スコアだけでは分からない試合展開が見えてきます。

映像を見る場合は、試合日や対戦カードを大会記録と照合すると、「甲子園の映像なのか、岩手大会の映像なのか」を判別しやすくなります。

特に160キロの場面は甲子園ではありません。動画タイトルだけで判断せず、試合日や対戦カードを大会記録と照合すると混同を防げます。

大谷翔平の甲子園についてよくある質問

大谷翔平の高校野球歴は、3年春と3年夏が混同されやすいため、「甲子園に出た」「出ていない」という正反対の情報が出てきやすいテーマです。

最後に、検索されやすい疑問へ簡潔に答えます。

大谷翔平は甲子園に出た?

はい。高校時代に2回出場しています。

2011年夏の第93回全国高校野球選手権と、2012年春の第84回選抜高校野球大会です。

大谷翔平の甲子園出場回数は何回?

2回です。

高校2年夏に1回、高校3年春に1回出場しています。

大谷翔平が甲子園に出たのは何年?

2011年と2012年です。

2011年は夏の甲子園、2012年は春のセンバツでした。

大谷翔平は高校3年で甲子園に出た?

3年春には出ていますが、3年夏には出ていません。

春は大阪桐蔭に2-9で敗退。夏は岩手大会決勝で盛岡大付に3-5で敗れ、甲子園への出場を逃しました。

大谷翔平の甲子園成績は?

投手として2試合に登板し、14回1/3、0勝2敗、14奪三振、防御率3.77です。

打者としては6打数2安打、打率.333、1本塁打、3打点を記録しています。

大谷翔平は甲子園で勝った?

甲子園での勝利はありません。

2011年夏は帝京に7-8、2012年春は大阪桐蔭に2-9で敗れ、いずれも1回戦敗退でした。

大谷翔平は甲子園で優勝した?

優勝していません。

大谷が出場した2大会はいずれも初戦で敗れています。

大谷翔平は甲子園の決勝に出た?

出ていません。

高校3年夏には岩手大会の決勝まで進みましたが、盛岡大付に敗れています。「岩手大会決勝」と「甲子園決勝」を混同しないよう注意が必要です。

大谷翔平は甲子園でホームランを打った?

1本打っています。

2012年春のセンバツ1回戦で、大阪桐蔭の藤浪晋太郎から先制ソロ本塁打を放ちました。

大谷翔平と藤浪晋太郎は甲子園で対戦した?

はい。

2012年3月21日のセンバツ1回戦で、大谷が花巻東、藤浪が大阪桐蔭の先発投手として直接対決しました。試合は大阪桐蔭が9-2で勝利しています。

大谷翔平は甲子園で160キロを出した?

出していません。

160キロを記録したのは2012年夏の岩手大会準決勝です。奥州市の公式年表でも、甲子園出場とは別に岩手大会準決勝での記録として明記されています。

大谷翔平が最後の夏に涙を流したのは甲子園?

甲子園ではなく、2012年夏の岩手大会決勝です。

盛岡大付に3-5で敗れ、3度目の甲子園出場を逃した試合後に涙を見せています。

まとめ|大谷翔平は甲子園に2回出場したが、3年夏は出ていない

大谷翔平は花巻東高校時代、2011年夏と2012年春の2回、甲子園に出場しています。

  • 2011年夏は帝京に7-8で敗れて1回戦敗退
  • 2012年春は大阪桐蔭に2-9で敗れて1回戦敗退
  • 甲子園通算は投手0勝2敗、防御率3.77
  • 打者として打率.333、1本塁打、3打点
  • 高校3年夏は岩手大会決勝で敗れ、甲子園には出場していない

2011年夏は帝京に7-8で敗れ、2012年春は藤浪晋太郎を擁する大阪桐蔭に2-9で敗戦。2大会とも1回戦敗退だったため、甲子園での優勝や決勝進出、勝利経験はありません。

それでも個人成績を見ると、投手として14回1/3を投げて14奪三振、防御率3.77。

打者としては6打数2安打、打率.333、1本塁打、3打点を残しており、2012年春には藤浪から先制ソロ本塁打を放っています。

そして高校3年夏は、岩手大会決勝で盛岡大付に3-5で敗れたため甲子園には出場していません。

その試合では大谷が15三振を奪い、自ら9回に適時打も放ちましたが、最後は三塁走者として敗戦を迎え、3度目の甲子園出場には届きませんでした。

「大谷翔平は甲子園に出ていない」という情報は、この3年夏だけを指しているのであれば間違いではありません。

ただし高校時代全体で見れば、甲子園には2回出場しているというのが正確な答えです。

後に日本プロ野球やMLBで数々の実績を残す大谷ですが、高校時代の甲子園では1勝もできませんでした。

それでも、故障を抱えた2年夏に投打で帝京と接戦を演じ、3年春にはその年の春夏を制する大阪桐蔭を5回まで無失点に抑え、藤浪晋太郎から本塁打を放っています。

甲子園で残した「0勝2敗」という結果だけではなく、その2試合で投手と打者の両方として何を残したのかまで見ることが、大谷翔平の高校野球時代を知るうえで大切です。

出典・参考資料

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