大谷翔平の高校時代の身長・体重・筋肉は?トレーニングと怪我から見る体格の成長

大谷翔平の高校時代の身長・体重・筋肉は?トレーニングと怪我から見る体格の成長

現在の大谷翔平選手を見ると、高校時代から身長も体重もあり、完成された筋肉質な体だったように思えるかもしれません。

しかし、花巻東高校へ入学したころの大谷選手は身長こそ190cm前後あったものの、体重は60kg台半ば。現在とはかなり印象の異なる、長身で細身の高校生でした。2026年の週刊ベースボールONLINEでは高校入学当時を188cm・65kg、3年時を86kgと紹介しており、日テレNEWSでは入学時190cm・65kgから3年間で約20kg増量したとされています。

高校時代に大きく変わったのは、身長だけではありません。

食事で体を大きくし、スクワットなどで下半身を強化する一方、高校2年時には左座骨周辺の骨端線を損傷する怪我も経験しました。その時期には無理にトレーニングを増やすのではなく、投球を止め、食事と睡眠を重視して回復を待つ判断がなされています。

高校1年時に作成した目標達成表にも、「体づくり」は大きな柱の一つとして記されていました。160キロという球速目標と身体づくりは、最初から別々の課題ではなく、一つの成長計画の中に置かれていたことが分かります。

この記事では、大谷翔平選手の高校時代の身長・体重・筋肉について、数字の時点差を整理しながら、トレーニング、増量、怪我、休養、復帰までの流れを詳しく見ていきます。

  • 高校入学時は約188〜190cm・65kg前後の細身体型だった
  • 高校3年時には193cm・85〜86kg前後まで成長した
  • 高校3年間で約20kg増量したが、増えた体重すべてが筋肉という意味ではない
  • 高校2年時の怪我では投球を抑え、食事・睡眠・回復を優先した
目次

大谷翔平の高校時代の身長・体重はどう変わった?

大谷翔平選手の高校時代の身長体重を調べると、「188cm」「190cm」「191cm」「193cm」、「65kg」「76kg」「85kg」「86kg」など複数の数字が見つかります。

どれか一つだけが正しく、それ以外が間違っているという意味ではありません。高校3年間は本人が成長期にあり、さらに意図的な増量にも取り組んでいたため、測定された時期によって数字が違います。

おおまかな体格の変化を時系列で整理すると、次のようになります。

時期身長体重当時の状況
高校入学ごろ約188〜190cm約65kg長身だが細身だった
高校2年夏ごろ約191cm約76kg体重が増え始め、甲子園にも出場
高校2年冬約191cm約86kg怪我の治療と並行して大幅に増量
高校3年春193cm85kg前後センバツ出場時の公表プロフィール
高校卒業前193cm86kgドラフト時のプロフィール
身長・体重の数字は「いつの時点か」で見る

入学時は約188〜190cm・65kg前後、高校3年時は193cm・85〜86kg前後と、資料によって数字に幅があります。

成長期で測定時期も異なるため、一つの数値に固定するより時点を分けて読むほうが実態に近いです。

この推移を見ると、高校時代の大谷選手は「最初から193cm・86kgだった」のではなく、長身で細かった体を3年間かけて大きくしていったことが分かります。

高校入学時は約188〜190cm・65kgの細身体型だった

大谷翔平選手は花巻東高校へ入学した時点ですでに、一般的な高校1年生と比べてかなり高い身長がありました。

一方で、体重はその身長に対して軽く、現在から想像するような厚みのある体ではありませんでした。

2026年の週刊ベースボールONLINEは、入学当時について身長188cm・体重65kgと紹介しています。一方、日テレNEWSでは190cm・65kgとされているため、入学前後は「約188〜190cm、65kg前後」と捉えるのが適切でしょう。

侍ジャパン公式の記事でも、高校入学時の大谷選手について「今よりずっと細身だった」と振り返られています。当時バッテリーを組んだ佐々木隆貴氏も、見た目だけでは監督が高く評価するほどの選手なのか分からなかったという趣旨の証言をしています。

つまり、高校入学時から現在のような筋肉質な大型選手だったわけではありません。

長身という大きな特徴はすでにありましたが、その長い骨格に見合う体重と筋力を付ける余地がかなり残された状態で、花巻東での高校生活をスタートしたことになります。

高校2年夏には約191cm・76kgまで成長

高校2年になると、大谷選手の体は徐々に大きくなっていきます。

2012年1月の日刊スポーツの記事では、当時の身長を191cmとし、前年夏、つまり高校2年夏には76kgだった体重が、冬までの約4カ月で86kgへ増えたと報じています。

入学時が65kg前後だったとすれば、この時点ですでに10kgほど体重が増えていたことになります。

ただし、大谷選手の場合は体重だけでなく身長そのものも伸びていたため、「筋肉だけで10kg増えた」と考えることはできません。

高校時代は自然な身体成長と、食事や筋力トレーニングによる意図的な体づくりが同時進行していました。

高校2年夏から冬に約10kg増えた

体重の変化が特に大きかったのが、高校2年の夏から冬にかけてです。

日刊スポーツは、夏に76kgだった体重が約4カ月で86kgまで増えたと報道。当時の大谷選手は、室内練習場でバーベルを担いでスクワットに取り組んでいました。

わずか数カ月で約10kgという数字だけを見ると、猛烈な筋力トレーニングを行っていたようにも見えます。

しかし、この時期の大谷選手は高校2年夏に負った怪我からの回復途中でした。実際には投球を十分に行えず、食事や睡眠を含め、まず体を大きくして回復させることに多くの時間が割かれています。

つまり、高校2年冬の増量は「投げ込みながら筋肉だけを増やした」というものではありません。

投球量を抑える期間を利用しながら、食べること、休むこと、回復することを含めて体の土台を作る時期でもありました。

高校3年春には193cm・85kg前後まで大きくなった

高校3年春には身長193cmへ到達しています。

2012年3月21日のセンバツ開幕時に日刊スポーツが掲載したプロフィールでは、大谷選手は身長193cm・体重85kgでした。

同年11月のドラフト時に週刊ベースボールONLINEが掲載したプロフィールでは193cm・86kgとなっています。

したがって、高校生活の終盤は「193cm、85〜86kg前後」と整理するのが分かりやすいでしょう。

入学時を65kgとすると、最終的には20kg前後体重が増えた計算になります。

188cmと190cm、85kgと86kgで数字が違う理由

大谷翔平選手の高校時代の身長体重については、記事によってわずかな差があります。

入学時だけでも188cmとする資料と190cmとする資料があり、高校3年時も85kg、86kgと複数の数字が確認できます。

この差を無理に一つへ統一する必要はありません。

大谷選手は高校時代も成長を続けており、体重も意図的に増やしていました。測定日やプロフィール更新のタイミングが異なれば、数cm・数kg程度の差が生まれる可能性があります。

そのため、「高校時代の身長は193cmだった」と一つの数字だけを書くより、入学時は約188〜190cm・65kg前後、3年時には193cm・85〜86kg前後と時点を分けるほうが実態に近い説明になります。

大谷翔平の高校時代の筋肉はどのように成長した?

「大谷翔平の高校時代の筋肉」と聞くと、現在の大谷選手のような分厚い上半身や太い脚を想像する人もいるでしょう。

しかし、確認できる資料から分かるのは、入学当初はむしろ細身だったことです。その後、体重増加と筋力トレーニングによって体格が大きくなり、特に復帰後は下半身を強化していきました。

筋肉量の数値について

一方、高校時代の筋肉量や体脂肪率を継続的に測定した公表データは、今回確認した主要資料には見当たりません。

したがって「高校3年間で筋肉が何kg増えた」「体脂肪率が何%だった」といった数字を、体重の変化から推測して断定するのは避けるべきです。

高校入学時から筋肉隆々だったわけではない

現在の大谷選手の体格を基準にすると、高校時代も突出した筋肉量があったように感じます。

しかし、侍ジャパン公式は高校入学時を「今よりずっと細身だった」と紹介しています。2026年の週刊ベースボールONLINEに掲載された高校1年時の体格も188cm・65kgで、現在とは大きく異なります。

重要なのは、大谷選手の高校時代の身体的な特徴が「最初から大きな筋肉があったこと」ではない点です。

すでに高身長だった骨格へ、時間をかけて体重と筋力を加えていったことに特徴があります。

「まず体を大きくする」ことが体づくりの土台だった

高校時代の体づくりを理解するときは、筋力トレーニングだけを見るのでは不十分です。

花巻東では、160キロを投げるという長期的な目標を置き、その実現に必要な要素の一つとして体づくりを位置づけていました。大谷選手自身が高校1年冬に作った目標達成表にも、「体づくり」と「スピード160km/h」が主要な項目として並んでいます。

高校2年冬には、怪我で投げられない期間を利用し、睡眠を確保しながら食事量を増やして体そのものを大きくしました。

ここから分かるのは、単純に「筋トレを増やして筋肉を付ける」という発想だけではなかったことです。

長身の体に必要な体重を付け、そのうえで野球の動きにつながる筋力を高めるという流れで見ると、大谷選手の高校時代の体格変化を理解しやすくなります。

約20kgの体重増加すべてが筋肉ではない

高校入学時約65kgから3年時85〜86kg前後まで増えたため、「約20kgの筋肉を付けた」と表現されることがあります。

しかし、これは正確ではありません。

高校時代の大谷選手は、身長自体も約188〜190cmから193cmへ伸びています。さらに食事による増量や自然な身体成長も重なっているため、増えた体重のすべてを筋肉量として扱うことはできません。

高校時代の筋肉について、確認できる事実を整理すると次のようになります。

  • 入学時は188〜190cm前後・65kgほどの細身体型だった
  • 高校3年間で体重は20kg前後増えた
  • スクワットなどのウエイトトレーニングに取り組んでいた
  • 復帰後は下半身を大きくするトレーニングも進められた
  • 高校時代の正確な筋肉量や体脂肪率の公表値は確認できない

「筋肉が何kg増えたか」ではなく、細身だった長身の体に体重と筋力を段階的に加えていったと理解するのが、確認できる資料に沿った捉え方です。

大谷翔平が高校時代に取り組んだトレーニング

大谷翔平選手の高校時代のトレーニングについて、「これだけをすれば大谷翔平のようになれる」という特別な一つのメニューが確認されているわけではありません。

むしろ資料を時系列に並べると、体を大きくする食事、スクワットなどによる筋力強化、野球技術の練習、そして怪我をした際の休養を組み合わせていたことが分かります。

さらに高校1年時の目標達成表を見ると、体づくりは感覚的に行われていたのではなく、具体的な項目へ分解されていました。

目標達成表で「体づくり」を明確な課題にしていた

花巻東高校では、選手が大きな目標と、それを達成するために必要な要素を書き出す「目標達成表」を活用していました。

大谷選手が高校1年冬に作った表の中心には「ドラ1 8球団」と書かれ、その達成に必要な要素として「体づくり」「コントロール」「キレ」「メンタル」「スピード160km/h」「人間性」「運」「変化球」などが置かれていました。

ここで重要なのは、「体づくり」が野球技術とは別の付属的なテーマではなかったことです。

160キロを投げることやドラフト1位級の選手になることと並び、将来の目標を実現するために必要な中心的課題として扱われていました。

目標達成表に紹介されている「体づくり」の具体項目には、体のケア、柔軟性、可動域、スタミナ、食事に加え、FSQ90kg、RSQ130kgといった筋力トレーニングの数値目標も記されています。目標達成表の仕組みを紹介する「マンダラチャート」公式サイトでも、この2つを筋力トレーニングの重量目標として説明しています。

注意:目標値と実績は別です

FSQ90kg、RSQ130kgは目標達成表に書かれた目標値であり、「大谷選手が高校時代の日常トレーニングで常にその重量を扱っていた」「その重量を何回挙げた」という実績を示すものではありません。

数値だけを切り取り、大谷選手が実際に行っていたトレーニング重量として断定しないほうが正確です。

スクワットで下半身を強化していた

実際のトレーニングとして当時の記事で具体的に確認できるものの一つがスクワットです。

2012年1月の日刊スポーツでは、高校2年だった大谷選手が室内練習場でバーベルを担ぎ、スクワットに取り組む様子が報じられています。当時は191cm・86kgほどまで体が大きくなっていました。

スクワットをはじめとした下半身強化は、長身の体を安定させ、投球や打撃で全身を使うための土台づくりにつながります。

ただし、大谷選手が実施したという理由だけで、高校生が重量や回数をそのまま真似することは適切ではありません。

大谷選手自身も成長期に怪我を経験しており、身体の状態に応じて練習内容を変えていました。

160キロから逆算して体を作っていた

花巻東時代の体づくりを語るうえで、「160キロ」という数字は外せません。

大谷選手は高校1年時の目標達成表に「スピード160km/h」を設定し、佐々木洋監督も大谷選手の指導用に「ドラ1 8球団 MAX160」を中心とした目標を設定していました。

つまり、体重を増やすこと自体が最終目標だったわけではありません。

160キロを投げられる投手へ成長するには何が必要なのかを考え、その中に体づくり、下肢の強化、体幹、可動域などを組み込んでいました。

高校3年夏の2012年7月19日、大谷選手は岩手大会準決勝で実際に160キロを計測しています。侍ジャパン公式も、この160キロ到達までの過程で、高校2年時の故障と冬場の体づくりがあったことを紹介しています。

もちろん、「20kg体重を増やしたから160キロが出た」と単純な因果関係で説明することはできません。

身長の成長、筋力、投球フォーム、技術、経験など多くの要素が同じ時期に変化しているからです。

高校時代の球速そのものの推移や160キロを記録した試合については、「大谷翔平の高校時代の球速」で詳しく確認すると、体づくりとのつながりがさらに分かりやすくなります。

「鍛える」だけではなかった高校時代の体づくり

大谷翔平選手の高校時代から学べる特徴の一つは、トレーニング量を増やすことだけが成長方法ではなかった点です。

高校2年夏前に怪我をした後は、むしろ投球や負荷を抑え、食事や睡眠によって体を回復させる時間が設けられています。

この時期を挟んだからこそ、「怪我前」「治療中」「復帰後」で体づくりを分けて見る必要があります。

怪我をした時期は無理にトレーニングを増やさなかった

花巻東で長年アドバイザーを務めるコンディショニングコーチの能勢康史氏は、2025年の朝日新聞の取材で、高校2年夏前に怪我をした大谷選手について、投球をせず、自分のペースで睡眠と食事を取り、打撃を行っていたと振り返っています。

さらに、素材が良かったため、無理にトレーニングをさせなかったとも説明しています。

これは、「高校時代から毎日限界まで筋トレをしていた」というイメージとは異なります。

伸び盛りの体に怪我が起きた際には、負荷をさらに増やすのではなく、成長と回復を優先する判断が行われていました。

「睡眠が一番のトレーニング」とされた時期もある

怪我をした大谷選手に対し、佐々木洋監督は骨の成長がまだ止まっていないことにも注目していました。

スポニチの取材によると、佐々木監督は選手たちの前で、大谷選手を特別扱いすると伝えたうえで、怪我を治す時期には睡眠を最も重要なトレーニングとして捉え、練習を早めに切り上げさせていました。

これは単なる「睡眠好き」というエピソードではありません。

成長途中の体に負荷を与える時期と、負荷を減らして回復させる時期を分けるという、コンディショニング上の判断でした。

なお、食事量や睡眠、寮での日常生活を詳しく知りたい場合は、「大谷翔平の高校時代の食事・睡眠・寮生活」で扱う内容になります。

この記事では、あくまで身長・体重・筋肉の成長に関係する範囲に絞って見ていきます。

復帰してから下半身の強化を進めた

怪我の治療期間と、その後のトレーニング期間は分けて考える必要があります。

大谷選手は治療中から無理に負荷を高めたのではなく、投球を抑えて体を回復させ、その後に本格的な競技復帰へ移っています。

2012年1月16日には、約5カ月ぶりとなる本格的なブルペン投球を再開しました。捕手を座らせ、約7割の力で60球を投げています。

そして同年3月には約7カ月ぶりに実戦登板。

身長193cmまで成長した大谷選手は最速146キロを記録し、投手として3回無失点、打者としても2打席連続本塁打を放ちました。

この復帰後の時期に、一回り大きくなった体を競技動作へつなげていったと見ることができます。

大谷翔平の高校時代の体重増加と食事の関係

大谷翔平選手の高校時代の体重変化を説明するうえで、筋力トレーニングと同じくらい重要なのが食事です。

65kg前後だった長身の体を85〜86kg前後まで大きくするには、消費する以上のエネルギーを継続的に摂取する必要があります。大谷選手の場合、「食べること」自体が体づくりの課題になっていました。

ただし、食事の具体的な内容は別テーマの記事と重複するため、ここでは体重増加との関係を中心に見ていきます。

高校3年間で約20kg増量した

日テレNEWSは、大谷選手が花巻東高校へ入学した当時を190cm・65kgとし、「食事トレーニング」によって3年間で約20kg体重を増やしたと紹介しています。大谷選手本人も、当時の食事による増量についてかなり負担が大きかったことを振り返っています。

高校2年冬の記事では、朝と夜だけでなく、授業や練習の合間にも食事を取るなど、摂取する回数を増やしていたことが報じられています。

大谷選手にとって「食べる」は休憩時間の行動ではなく、長身に必要な体重を付けるための取り組みの一つでした。

食事も目標達成表の「体づくり」に入っていた

高校1年時の目標達成表でも、食事は体づくりを達成する具体項目として組み込まれていました。

つまり、高校2年冬になって突然大量に食べ始めたというより、高校入学後の比較的早い段階から「食べて体を作る必要がある」という課題認識を持っていたことになります。

実際の食事量は非常に多かったと報じられていますが、その数字だけを一般の高校生が真似するのは適切ではありません。

身長、体重、成長段階、練習量によって必要なエネルギー量は異なるためです。

大きくなった体は復帰後の球にも変化を与えた

怪我から復帰した大谷選手について、当時バッテリーを組んでいた佐々木隆貴氏は、体が一回り以上大きくなり、ストレートにも以前より重量感が出たと振り返っています。

春先には球威で打者を押し込み、バックネット方向へのファウルになる場面が増えたと証言しています。

これは「体重が増えたから球速が上がった」と証明するデータではありません。

ただ、同じ球を受けていた捕手が復帰前後で球質の違いを感じるほど、体格の変化が大きかったことを示す具体的なエピソードではあります。

大谷翔平が高校時代に経験した怪我

大谷翔平選手の高校時代の体づくりを考えるうえで、怪我は避けて通れません。

高校2年夏に経験した左座骨周辺の骨端線損傷によって、投手として十分に投げられない期間が生まれました。一方、その時期が結果的に、体を休ませながら大きくする期間とも重なりました。

怪我については医学的な原因を推測せず、当時の報道で確認できる経緯を中心に整理します。

高校2年の2011年7月2日に負傷

日刊スポーツが後年掲載した記事によると、大谷選手は高校2年だった2011年7月2日、練習試合のマウンドで滑った際に骨端線を損傷しました。

当初は左太ももの肉離れと考えられていましたが、精密検査によって「左座骨結節の骨端線離開」と分かったと報じられています。

侍ジャパン公式の記事でも、同じ高校2年夏の時期に座骨周辺の骨端線を損傷し、ボールを十分投げられない状態になったことが紹介されています。

資料によって表現が少し異なるため、「左座骨周辺の骨端線損傷。当時の報道では左座骨結節の骨端線離開とも伝えられている」と整理するのが分かりやすいでしょう。

怪我を抱えながら高校2年夏の甲子園に登板

怪我をしたのは、高校2年夏の大会直前でした。

岩手大会では野手としての出場が中心となり、登板する場合には痛みを抱えた状態でした。それでも花巻東は岩手大会を勝ち上がり、大谷選手は初めて夏の甲子園へ出場しています。

甲子園1回戦の帝京戦では途中からマウンドに上がりました。

侍ジャパン公式によると、痛めた足の影響で本来の大きなストライドを使えず、歩幅を狭めた投球フォームになりながらも最速150キロを記録しています。

この150キロは大谷選手の能力を象徴する数字ではありますが、怪我を押して投げること自体を肯定する材料として捉えるべきではありません。

その後は将来を優先し、本格的な投球を控える期間に入ります。

秋は投手起用を避けて回復を優先

高校2年秋も、大谷選手は野手中心で出場しました。

佐々木監督は投手として無理をさせず、怪我を治すことを優先しています。スポニチが紹介した佐々木監督の目標設定でも、「ケガ」という項目の中でストレッチや補食、休息まで具体的に考えられていました。

大谷選手のような注目選手であれば、一試合でも多く登板させたいと考える場面があったかもしれません。

それでも高校2年秋は目先の登板より、その先の選手人生を考えて投球を抑えたことが分かります。

高校2年冬は睡眠・食事・治療に時間を使った

侍ジャパン公式は、高校2年冬について「ケガを治す日々」が続き、早期回復のために睡眠時間を確保し、体重増加のための食事にも力を入れたと紹介しています。

投げられず、十分に走れない時期ではありましたが、その期間に体は大きくなっていきました。

ここで高校時代の怪我と体重増加がつながります。

「怪我をしたから筋トレに集中した」という単純な話ではなく、投球を休む、治療する、寝る、食べる、体を成長させるという時間になっていたのです。

約5カ月後に本格投球を再開

2012年1月16日、大谷選手は約5カ月ぶりに捕手を座らせた本格投球を行いました。

この日は60球を投げ、力は7割前後。完全復活へ向けて少しずつ投球強度を高める段階でした。

いきなり以前と同じ練習量へ戻すのではなく、段階を踏んで競技復帰していることが分かります。

約7カ月ぶりの実戦で146キロを記録

2012年3月8日には、高校2年夏の甲子園以来となる約7カ月ぶりの実戦登板を果たしました。

東大阪大柏原との練習試合で3回を無失点に抑え、最速146キロ。打者としても2打席連続本塁打を放っています。

この時点で身長は193cmまで伸びていました。

夏に怪我をしたころと比べ、半年あまりの治療と体づくりを経て、明らかに大きな体で実戦へ戻ってきたことになります。

怪我から復帰する流れをまとめると、次のとおりです。

怪我から復帰までの流れ
  • 2011年7月2日:練習試合で左座骨周辺を負傷
  • 高校2年夏:怪我を抱えながら岩手大会、甲子園に出場
  • 高校2年秋:投手起用を抑え、野手中心でプレー
  • 高校2年冬:治療、睡眠、食事による体づくりを優先
  • 2012年1月:本格的なブルペン投球を再開
  • 2012年3月:約7カ月ぶりに実戦登板
  • 高校3年夏:岩手大会で160キロを計測

この流れを見ると、160キロ到達までには「鍛え続けた期間」だけでなく、「投げずに回復を待った期間」がかなり長く含まれていたことが分かります。

怪我が大谷翔平の体づくりに与えた影響

大谷翔平選手の高校時代を、順調に筋肉を付けて球速を伸ばした3年間として捉えると、実際の過程とは少し違います。

高校2年時の怪我によって一度投球を止めざるを得なくなり、選手だけでなく周囲の指導方法も調整されました。

この経験は、高校時代のトレーニングを理解するうえで非常に重要です。

負荷を上げることより成長を待つ判断があった

大谷選手は高校時代、まだ骨格が成長する年代でした。

佐々木監督は骨の成長が止まっていないことに注目し、怪我を治療する時期には練習を早めに切り上げ、睡眠を確保させています。

能勢康史氏も、高校2年夏前の怪我の時期には無理なトレーニングをさせなかったと振り返っています。

ここには、大谷選手の体づくりを見る際の重要なポイントがあります。

「強くなるためには毎日できるだけ多く鍛える」のではなく、身体が成長する時間、怪我を治す時間を含めて競技力向上を考えていたことです。

休養後に大きくなった体を競技へつなげた

高校2年冬に体重を大きく増やした後、大谷選手は高校3年春に193cm・85kg前後まで成長しています。

侍ジャパン公式の記事では、復帰後に体が一回り以上大きくなり、ストレートにも重量感が出たという当時の捕手の証言が紹介されています。

単に体重計の数字だけが増えたのではなく、復帰後には新しい体格を投球や打撃へ適応させていく必要がありました。

大谷選手が高3夏に160キロへ到達できた背景を考える際には、この「体を大きくする期間」と「大きくなった体を競技で使えるようにする期間」を分けて見ることが重要です。

大谷翔平の約20kg増量をそのまま真似してはいけない理由

大谷翔平選手の高校時代の体づくりは、野球をする高校生にとって非常に興味深い事例です。

一方、「65kgから85kgまで増やした」「スクワットをしていた」という表面的な数字だけを抜き出して再現するのは適切ではありません。

大谷選手は190cm前後の長身で、さらに高校時代も身長が伸び続けていました。

  • 大谷選手の85〜86kgを高校球児の理想体重として一般化しない
  • FSQ90kg・RSQ130kgは目標値であり、日常の実施重量・回数を示す記録ではない
  • 怪我や痛みがあるときに無理な負荷をかけることを「大谷流」と捉えない

最適な体重は身長や成長段階によって違う

大谷選手が高校3年時に85〜86kgだったからといって、高校球児にとって85kgが理想という意味ではありません。

必要な体重や筋肉量は、身長、骨格、ポジション、競技特性、成長段階によって大きく異なります。

また、大谷選手自身も一気に完成したわけではなく、入学時から高校卒業まで数年間をかけて体格を変えていきました。

スクワットの重量目標だけをコピーしない

目標達成表にはFSQ90kg、RSQ130kgという具体的な数字が見られます。

数字がはっきりしているため目を引きますが、この部分だけを抜き出すのも避けたいところです。

大谷選手の「体づくり」の項目には、筋力だけでなく、体のケア、柔軟性、可動域、スタミナ、食事なども並んでいます。

つまり本人が高校1年時に考えていた体づくり自体が、ウエイトの重量だけで完結するものではありませんでした。

痛みを我慢して練習することが大谷流ではない

高校2年夏に怪我を抱えながら甲子園に登板した事実だけを見ると、「大谷選手は痛くても投げた」と捉えることもできます。

しかし、その後の経緯まで見れば、むしろ長期間投球を抑え、睡眠と治療を優先していることが分かります。

高校時代の体づくりから参考にするなら、痛みを我慢する部分ではありません。

目標に必要な体づくりを計画しつつ、怪我をしたときには負荷を下げ、回復後に段階的に戻しているところまで含めて見る必要があります。

参考にしたいポイントを整理すると、次のとおりです。

  • 目標から逆算して必要な体づくりを考える
  • 体重だけでなく筋力・柔軟性・可動域・ケアも見る
  • 成長期には体の成熟度を無視しない
  • 怪我のときは負荷を減らし、回復を優先する
  • 有名選手の体重やトレーニング重量をそのままコピーしない

大谷選手の高校時代の価値は「20kg増やした」という数字そのものより、状況に応じて体づくりの方法を変えていた点にあります。

大谷翔平の高校時代の身長・体重・筋肉に関するよくある疑問

ここまでの情報をもとに、大谷翔平選手の高校時代の身長・体重・筋肉・トレーニング・怪我について、特に疑問になりやすいポイントを整理します。

複数の媒体で数字が少し異なるものについては、一つの値に無理に固定せず、確認できる範囲を示します。

大谷翔平の高校入学時の身長は何cm?

高校入学時の身長は約188〜190cmと考えるのが適切です。

2026年の週刊ベースボールONLINEは188cm、日テレNEWSは190cmとしています。

その後も身長は伸び、高校3年春には193cmとなっています。

そのため「高校時代は193cmだった」とだけ説明するのではなく、「入学時約188〜190cm、3年時193cm」と時期を分けるほうが正確です。

大谷翔平の高校入学時の体重は何kg?

高校入学時の体重は65kg前後とされています。

188〜190cm前後の身長に対して65kgほどだったため、現在と比べるとかなり細身でした。

侍ジャパン公式でも、入学当時は現在よりずっと細かったと紹介されています。

大谷翔平の高校3年時の身長体重は?

高校3年春には193cm・85kgとする当時のプロフィールがあります。

ドラフト時のプロフィールでは193cm・86kgです。

したがって、高校3年時は193cm・85〜86kg前後と整理すると分かりやすいでしょう。

大谷翔平は高校時代に何kg増量した?

入学時約65kgから3年時85〜86kg前後になっているため、約20kg増えたと考えられます。

日テレNEWSも、高校3年間で20kg増量したと紹介しています。

ただし、身長自体も伸びているため、20kgすべてが筋肉という意味ではありません。

大谷翔平は高校時代から筋肉がすごかった?

入学時から現在のような筋肉質な体だったわけではありません。

高校入学当時は約188〜190cm・65kg前後の細身体型で、そこから食事やトレーニングによって体を大きくしていきました。

高校時代の正確な筋肉量や体脂肪率について、継続的な公表データは今回確認した主要資料にはありません。

そのため、「高校時代の筋肉量は○kg」といった推測を事実として扱わないことが大切です。

大谷翔平は高校時代にどんな筋トレをしていた?

当時の記事で具体的に確認できるものの一つが、バーベルを使ったスクワットです。

2012年1月には、室内練習場でスクワットに取り組む様子が報じられています。

また、高校1年時の目標達成表にはFSQ90kg、RSQ130kgという筋力トレーニングの重量目標も記されていました。

ただし、この数字は目標値であり、実際のトレーニングで常にその重量を扱っていたことを示す記録ではありません。

大谷翔平は高校時代に何を重視して体を作った?

大きく分けると、体重増加、筋力、柔軟性・可動域、ケア、食事、休養です。

高校1年時の目標達成表でも「体づくり」が一つの大きな項目となっており、ウエイトだけでなく体のケアや柔軟性など複数の要素に分解されていました。

怪我をした高校2年時には、さらに睡眠と回復が重視されています。

大谷翔平の高校時代の怪我は何?

特に大きく報じられているのが、高校2年夏の左座骨周辺の骨端線損傷です。

日刊スポーツの後年の記事では、正式病名として「左座骨結節の骨端線離開」と紹介されています。

2011年7月に負傷し、高校2年夏の甲子園後も長期間本格的な投球を控え、2012年1月にブルペン投球、3月に実戦登板へ戻っています。

怪我をしたから体重が増えたの?

怪我だけを原因として「20kg増えた」と考えるのは適切ではありません。

大谷選手は高校1年時から体づくりを課題として認識しており、目標達成表にも体づくりや食事を組み込んでいました。

ただ、高校2年冬に投球を抑えて治療する期間が生まれたことで、睡眠と食事に時間を使い、体を大きくすることへ集中できた側面はあります。

大谷翔平は高校時代、体重を何kgまで増やそうとしていた?

高校2年冬の時点ですでに86kgまで増えていました。

その後、高校3年春は85kg、ドラフト時には86kgと公表されています。

体重は日々変動するため、「高校時代の完成体重は86kg」と一点だけで固定するより、3年時には85〜86kg前後だったと理解するほうが自然です。

大谷翔平の高校時代の体格は「20kg増量」だけでは語れない

大谷翔平選手は、花巻東高校への入学時には身長約188〜190cm・体重65kg前後という長身で細身の体格でした。

高校3年時には身長193cm・体重85〜86kg前後となり、高校生活の中で身長がさらに伸びるとともに、体重も約20kg増加しています。

しかし、この20kgをすべて筋肉と考えることはできません。

自然な身体成長が続く一方で、食事による増量、スクワットなどの筋力トレーニング、柔軟性や可動域を含む体づくりが重なった結果だからです。高校時代の正確な筋肉量や体脂肪率についても、今回確認した主要資料では明確な数値は確認できません。

そして、大谷選手の高校時代の体づくりでもう一つ重要なのが、怪我をしたときに練習量を増やさなかったことです。

高校2年夏に左座骨周辺の骨端線を損傷すると、秋から冬にかけて本格的な投球を抑えました。佐々木洋監督は睡眠を重要なトレーニングとして扱い、コンディショニングコーチも無理に負荷をかけず、食事と休養を取りながら回復を待ったと振り返っています。

その期間に体重を増やし、回復後には新しく大きくなった体を投球や打撃へつなげていきました。

当時の捕手が復帰後のストレートに以前とは違う重量感を感じるほど体格は変化し、その先で高校3年夏の160キロ到達につながっています。

大谷翔平選手の高校時代の身長・体重・筋肉を見るとき、注目すべきなのは「高校3年で193cm・86kgだった」という完成時の数字だけではありません。

この記事の結論

65kg前後だった細身の長身選手が、自分に必要な体づくりを具体的な目標へ落とし込み、食事や筋力トレーニングを続けながら、怪我をしたときには立ち止まり、休養と成長を優先して85〜86kg前後の体へ変わっていった。

この過程まで含めて見ることで、大谷翔平選手が高校時代にどのように体格を作り、その体を投打の能力へつなげていったのかが見えてきます。

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