大谷翔平の高校時代の球速!最速160キロは甲子園?記録した試合と甲子園での最速球速

大谷翔平の高校時代の球速!最速160キロは甲子園?記録した試合と甲子園での最速球速

大谷翔平の高校時代の球速を調べると、「160キロ」「151キロ」「甲子園では150キロ」といくつもの数字が出てきます。

どれも文脈によっては正しい数字ですが、高校時代の自己最速と甲子園での最速球速を同じものとして考えると、記録を取り違えやすくなります。

先に結論をいうと、大谷翔平が花巻東高校時代に記録した最高球速は160キロです。2012年7月19日、高校3年夏の全国高校野球選手権岩手大会準決勝・一関学院戦で、岩手県営野球場のスピードガンが160キロを表示しました。奥州市の公式年表でも、この記録は「高校生最速(当時)」として掲載されています。

一方、甲子園で確認できる大谷翔平の最速球速は150キロです。高校2年夏の帝京戦と、高校3年春の大阪桐蔭戦で150キロを記録しています。

まず重要なポイントを整理すると、次のようになります。

  • 大谷翔平の高校時代の最速球速は160キロ
  • 160キロを記録したのは高校3年夏の岩手大会準決勝
  • 対戦相手は一関学院、球場は岩手県営野球場
  • 160キロは甲子園本大会で記録した数字ではない
  • 甲子園で確認できる最速球速は150キロ
  • 高校1年秋には147キロ、高校2年時には自己最速151キロまで伸びていた
  • 高校3年夏には153キロへ更新した6日後、一気に160キロを記録した

以下では、160キロが出た試合の状況から高校3年間の球速推移、甲子園での球速との違いまで順番に詳しく見ていきます。

目次

大谷翔平の高校時代の最速球速は160キロ

大谷翔平の高校時代の最速を一つの数字で答えるなら、160キロです。

ただし、球速記録は数字だけでは十分ではありません。「いつ」「どの大会で」「どの球場の計測で出た数字なのか」まで確認することで、甲子園の記録との違いも明確になります。

160キロを記録したのは2012年7月19日の一関学院戦

大谷翔平が160キロを記録したのは、花巻東高校3年だった2012年7月19日です。

試合は第94回全国高校野球選手権岩手大会の準決勝。花巻東と一関学院が岩手県営野球場で対戦しました。

160キロが表示されたのは6回表でした。

日刊スポーツの当時の記事によると、2死二、三塁の場面で一関学院の5番・鈴木匡哉選手を迎え、大谷はフルカウントから内角低めへ直球を投げ込みます。その球を岩手県営野球場のスピードガンが160キロと計測しました。鈴木選手は見逃し三振となりました。

花巻東はこの試合を9対1の7回コールドで勝利しています。

大谷は7回を一人で投げ、被安打3、13奪三振、四死球2、1失点。打者としても3打数2安打1打点を記録しました。

つまり160キロは、練習やスカウト向けの計測で出た数字ではありません。

夏の甲子園出場を争う地方大会準決勝、それも得点圏に走者を置いた公式戦の勝負どころで表示された球速でした。

160キロの直前には157・154・157・159・157キロを投げていた

さらに注目したいのは、160キロだけが突然飛び出したわけではないことです。

160キロを記録した鈴木匡哉選手との打席では、大谷は最初から150キロ台後半を連発していました。

当時の日刊スポーツが伝えた6球の球速は次のとおりです。

160キロを記録した打席の6球
  • 1球目:157キロ
  • 2球目:154キロ
  • 3球目:157キロ
  • 4球目:159キロ
  • 5球目:157キロ
  • 6球目:160キロ

6球すべて直球による勝負でした。

Number Webによる鈴木さんの回想でも、初球157キロ、4球目159キロ、最後の160キロという流れが確認できます。

この投球内容を見ると、「160」という一球だけが突出して表示されたのではなく、その打席自体が150キロ台後半の速球勝負だったことが分かります。

一関学院戦では99球中40球が150キロを超えた

さらに、160キロを記録した日の大谷は、試合全体でも高い球速を維持していました。

日刊スポーツによると、一関学院戦で大谷が投げた99球のうち、40球が150キロを超えていました

約4割の投球が150キロ超だったことになります。

最高球速だけを見れば160キロですが、この日の投球を理解するうえでは「150キロ台を継続して投げ、そのなかで159キロ、160キロまで到達した」と捉えるほうが実態に近いでしょう。

13奪三振を記録している点から見ても、160キロは単なる話題性のある一球ではなく、この日の圧倒的な投球内容を象徴する数字でした。

160キロは岩手県営野球場のスピードガンによる計測値

過去の球速を比較するときには、何で計測した数字なのかにも注意が必要です。

大谷の160キロについて、当時の日刊スポーツは岩手県営野球場に設置されたスピードガンで160キロを計測し、電光掲示板に表示されたと報じています。

後から映像を解析して算出した推定球速ではなく、試合中に球場で表示された公式戦上の計測値として広く知られるようになりました。

奥州市の公式年表や侍ジャパン公式サイトでも、2012年夏の岩手大会準決勝で160キロを記録した事実が、大谷の高校時代を代表する記録として扱われています。

ただし、高校野球の過去の球速は、すべての大会や球場で同じ機種・同じ設置条件によって測られているわけではありません。

1キロ単位の数字を異なる球場間で厳密に比較するより、「どの試合で、どの計測によって何キロと記録されたか」をセットで確認することが大切です。

大谷翔平の高校時代の球速推移

大谷翔平の高校時代の球速は、160キロだけを見ても全体像が分かりません。

花巻東入学後、身体の成長や故障を経験しながら球速を伸ばし、3年夏に160キロへ到達しています。時系列で見ると、その伸び方の大きさがよりはっきりします。

主な球速記録を整理すると次のとおりです。

時期学年状況・試合確認できる球速
2010年春高校1年入学直後130キロ台中盤との監督回想/143キロとの当時報道あり
2010年秋高校1年秋季東北大会・学法福島戦147キロ
2011年夏高校2年当時の自己最速151キロ
2011年夏高校2年甲子園・帝京戦150キロ
2012年3月高校3年センバツ・大阪桐蔭戦150キロ
2012年7月13日高校3年岩手大会・水沢工戦153キロ
2012年7月19日高校3年岩手大会・一関学院戦160キロ
2012年高校3年U-18世界野球選手権・韓国戦156キロ

高校1年秋の147キロから3年夏の160キロまで、確認できる公式戦・報道上の数字だけでも13キロ伸びています。

高校入学時の球速は資料によって数字が異なる

大谷の高校入学時の球速については、資料によって数字が異なります。

後年、花巻東の佐々木洋監督はスポーツナビの取材で、入学直後の大谷について「130キロ台中盤ぐらい」の球速を出していたと振り返っています。まだ身長が伸びている時期だったため、春先は投手として積極的に登板させず、まず外野手として下半身を鍛える方針だったとも説明しています。

一方、大谷が160キロを出した翌日の2012年7月20日付の日刊スポーツでは、佐々木監督が「入学時点で143キロを投げていた大谷」に160キロ以上を目標として意識させていた、という内容が報じられています。

したがって、「高校入学時の最高球速は正確に○キロだった」と一つに断定するのは慎重であるべきです。

確実に追える記録としては、高校1年秋の147キロ以降を見るのが分かりやすいでしょう。

高校1年秋には147キロまで到達

大谷は1年夏からベンチ入りし、秋になるとエースを任されます。

侍ジャパン公式サイトによると、2010年の秋季東北大会1回戦・学法福島戦で最速147キロを記録しました。

高校1年の秋の段階ですでに140キロ台後半。

高校球界でも目を引く球速でしたが、大谷にとってはここが最終地点ではありませんでした。

花巻東では高校入学当初から、将来的な160キロ到達が目標の一つとして意識されていました。侍ジャパン公式サイトでは、大谷が高校入学時に「160キロ到達」を目標に設定したと紹介されています。

高校2年には自己最速151キロまで伸びた

高校2年になると、大谷は「最速151キロ右腕」として報じられるようになります。

2011年7月18日付の日刊スポーツでは、岩手大会に出場していた大谷について、はっきりと「最速151キロ右腕」と紹介されています。

ここで注意したいのが、151キロは高校2年時点での自己最速であり、甲子園で記録した球速ではないという点です。

その後、大谷は高校2年夏に甲子園へ出場しますが、甲子園で確認できる最速は150キロでした。

「高校2年の最速151キロ」と「高校2年夏の甲子園最速150キロ」は、別々の数字として区別する必要があります。

故障を抱えた2年夏でも甲子園で150キロを記録

大谷は高校2年時、順調に球速だけを伸ばしていたわけではありません。

侍ジャパン公式サイトによると、座骨関節の骨端線損傷によって十分に投球できない時期があり、夏の岩手大会では野手としての出場が中心でした。登板時には痛み止めを使用していたとも紹介されています。

それでも花巻東は岩手大会を勝ち上がり、大谷は高校2年夏に初めて甲子園へ出場しました。

初戦の帝京戦では4回途中から登板。故障した足の影響で本来より歩幅を狭めたフォームになりながら、5回2/3を投げて2失点、最速150キロを記録しました。

故障の影響を受けながら甲子園で150キロを出していた点は、その後160キロへ伸びる過程を見るうえでも重要です。

ただし、故障から球速上昇までを単純な因果関係として考えることはできません。身体づくりやトレーニングの詳細は、別記事の「大谷翔平の高校時代の身長・体重・筋肉|トレーニングと怪我」で分けて確認すると整理しやすくなります。

高校3年春のセンバツでも150キロ

高校3年春、大谷は第84回選抜高校野球大会に出場します。

初戦の相手は藤浪晋太郎を擁する大阪桐蔭でした。

この試合で大谷は8回2/3を投げ、7安打、11四死球、9失点。制球には苦しんだものの11三振を奪い、最速150キロを記録しています。

花巻東は2対9で敗れました。

この段階でも甲子園では150キロでしたが、大谷の高校時代の球速はここから夏にかけて急激に上がります。

3年夏は153キロから6日後に160キロへ更新

160キロの直前にも、見逃せない自己最速更新があります。

2012年7月13日、岩手大会3回戦の水沢工戦で、大谷は7回から登板し、153キロを記録しました。

日刊スポーツによると、これはそれまでの自己最速151キロを2キロ更新する数字でした。

そして、そのわずか6日後。

7月19日の一関学院戦で一気に160キロまで伸ばしています。

時系列を見れば、大谷の高校時代の球速は「151キロからいきなり160キロになった」という単純なものではありません。

3年夏の公式戦でまず153キロへ自己記録を更新し、その後の準決勝で150キロ台後半を連発した末に160キロへ届いています。

高校最後の国際大会では156キロを記録

岩手大会終了後も、大谷の高校野球は終わっていませんでした。

2012年夏、韓国で開催された第25回IBAF 18U世界野球選手権大会の日本代表に選ばれています。

侍ジャパン公式サイトによると、5位決定戦の韓国戦では最速156キロを記録し、12三振を奪いました。

160キロの自己最速を更新したわけではありませんが、高校時代最後の国際舞台でも150キロ台半ばを記録していたことになります。

大谷翔平の高校時代の球速を時系列で追うなら、「160キロを出して終了」ではなく、U-18日本代表での156キロまで含めておくと全体像がより正確になります。

大谷翔平の甲子園での最速球速は150キロ

大谷翔平は花巻東高校時代に2度、甲子園へ出場しています。

2011年夏の第93回全国高校野球選手権大会と、2012年春の第84回選抜高校野球大会です。奥州市の公式年表でも、この2大会への出場が確認できます。

その甲子園で確認できる大谷の最速球速は150キロです。

高校2年夏の帝京戦で150キロ

大谷の甲子園デビューは2011年夏でした。

花巻東は初戦で帝京と対戦し、大谷は野手として試合に入り、4回途中からリリーフでマウンドに上がりました。

登板後には148キロを記録し、5回には150キロへ到達。

侍ジャパン公式サイトでも、この帝京戦について最速150キロだったと明記されています。

当時の甲子園における高校2年生最速タイの150キロでもありました。侍ジャパンの選手紹介でも、大谷が2年夏に高校2年生最速タイとなる150キロを記録したと紹介されています。

試合は花巻東が7対8で敗れ、大谷の初めての甲子園は1試合で終わりました。

高校3年春の大阪桐蔭戦でも最速150キロ

大谷にとって2度目の甲子園は、2012年春のセンバツです。

初戦で藤浪晋太郎の大阪桐蔭と対戦し、大型右腕同士の対決として注目を集めました。

大谷は投手として8回2/3を投げ、最速150キロを記録。11三振を奪う一方で11四死球、9失点となり、花巻東は2対9で敗れました。

したがって、大谷が甲子園で投げた2大会について確認できる最高球速は、

2011年夏・帝京戦=150キロ

2012年春・大阪桐蔭戦=150キロ

となります。

「高校2年の最速151キロ」と「甲子園最速150キロ」は別

大谷の甲子園での球速を調べる際、特に混同されやすいのが151キロです。

前述したとおり、大谷は2011年夏の時点で「最速151キロ右腕」と報じられていました。

しかし、それは大谷自身がそれまでに記録した自己最速を意味します。

一方、侍ジャパン公式が帝京戦について記載している甲子園での数字は150キロです。2012年春の大阪桐蔭戦についても、当時の日刊スポーツは最速150キロと報じています。

球速情報を見るときは、

  • 選手自身の「自己最速」なのか
  • 特定の大会での「大会最速」なのか
  • 甲子園球場で実際に計測された球速なのか
  • 地方大会や練習、代表合宿で出た数字なのか

を分ける必要があります。

大谷の場合は、高校2年時の自己最速151キロ、甲子園では150キロと整理すると混乱しません。

大谷翔平は甲子園で160キロを投げていない

「大谷翔平」「甲子園」「160キロ」という言葉は一緒に語られやすいため、大谷が甲子園球場で160キロを投げたと思われることがあります。

しかし、記録を時系列で確認すると、160キロが出た場所と甲子園は明確に異なります。

160キロは甲子園の地方大会で記録した

大谷が160キロを記録したのは、第94回全国高校野球選手権の岩手大会です。

大会そのものは夏の甲子園へつながる地方大会ですが、試合会場は阪神甲子園球場ではなく岩手県営野球場でした。

そのため、

「夏の甲子園予選で160キロを投げた」

という説明なら意味は通ります。

一方、

「甲子園で160キロを投げた」

と書くと、甲子園本大会や甲子園球場で160キロを計測したように受け取られるため正確ではありません。

160キロを記録した年の夏は甲子園に出場していない

さらに重要なのは、大谷が160キロを記録した2012年夏には、花巻東が甲子園本大会へ進めなかったことです。

一関学院との準決勝に勝った花巻東は岩手大会決勝へ進みましたが、決勝で敗退しました。

侍ジャパン公式サイトでも、大谷が準決勝で160キロを計測した後、チームは岩手大会決勝で敗れ、最後の夏の甲子園出場はかなわなかったと記録されています。

つまり、大谷の高校野球を時系列で整理すると、

高校時代の甲子園と160キロを時系列で整理
  • 高校2年夏:甲子園出場、最速150キロ
  • 高校3年春:センバツ出場、最速150キロ
  • 高校3年夏:岩手大会で160キロ
  • 高校3年夏:県大会決勝敗退のため甲子園出場なし

となります。

甲子園の出場回数や対戦相手、勝敗をさらに詳しく知りたい場合は、「大谷翔平は甲子園に出た?出場回数・成績・結果」で確認すると、球速情報と大会成績を分けて理解できます。

160キロは高校入学後から意識していた目標だった

大谷翔平にとって160キロは、3年夏にたまたま出た数字ではありません。

花巻東での育成過程では、かなり早い時期から160キロという具体的な数字が目標として意識されていました。球速の伸びを理解するうえでは、この点も押さえておきたいところです。

高校入学時には160キロ到達を目標にしていた

侍ジャパン公式サイトによると、大谷は高校入学時、3学年上の花巻東OB・菊池雄星を超えることを意識していました。

そのために設定した目標の一つが「160キロ到達」でした。

佐々木洋監督も後年、入学直後の大谷について、身体的な特徴などから将来的に160キロを出せる可能性を感じていたと振り返っています。

ただし、身体がまだ成長している段階だったため、1年春から投手として酷使するのではなく、外野手として下半身を鍛えながら段階的に投手へ移行させる方針を取ったと説明しています。

高校1年秋の147キロから、高校2年時の151キロ、そして高校3年夏の160キロへ。

数字だけを見れば13キロの上昇ですが、その背景には約2年半を見通した育成がありました。

160キロより高い163キロも目標として掲げていた

大谷と花巻東の球速目標については、「160キロ」と「163キロ」の両方が資料に登場します。

2012年当時の日刊スポーツによると、花巻東のウエートトレーニング場には「甲子園163キロ」という目標が掲げられていました。佐々木監督は、160キロを実現するためには、さらに高い163キロを目標にするという考えを示していたと報じられています。

後年の日刊スポーツの記事では、大谷が「163キロ」という目標を記したのは高校2年時だったとされています。

高校入学後から160キロ到達を大きな目標として意識し、その後は163キロというさらに高い数字も掲げた

と整理するのが分かりやすいでしょう。

目標シートそのものや高校時代の目標設定については、「大谷翔平の高校時代のノートと目標シート」で詳しく扱うのが適しています。

大谷翔平の160キロは現在も高校生最速なのか

大谷の160キロは2012年当時、高校生最速として大きく報道されました。

ただし、2026年現在まで高校生史上最速のままという意味ではありません。過去の記録を紹介する際は「当時の高校生最速」と表現するのが正確です。

2019年に佐々木朗希が163キロを記録

大船渡高校の佐々木朗希は2019年、高校日本代表候補の合宿で163キロを記録しています。

2026年7月の日刊スポーツの記事でも、高校生の球速について、甲子園球場以外では佐々木の163キロ、大谷の2012年岩手大会での160キロが紹介されています。

そのため大谷の記録は、

「2012年当時の高校生最速となる160キロ」

と表現するのが適切です。

なお、佐々木の163キロは日本代表候補合宿、大谷の160キロは夏の地方大会公式戦での記録です。

計測環境や場面が異なるため、数字だけを使って単純に優劣を決めるのではなく、「どの条件で記録された球速か」をあわせて見る必要があります。

大谷翔平の高校時代の球速でよくある疑問

大谷翔平の高校時代の球速では、160キロ、151キロ、150キロという複数の数字が登場します。

ここでは検索時に特に迷いやすいポイントを、記録ごとに分けて確認します。

大谷翔平の高校時代の最高球速は何キロ?

160キロです。

2012年7月19日、高校3年夏の岩手大会準決勝・一関学院戦で記録しました。岩手県営野球場のスピードガンによる計測で、当時の高校生最速として報じられています。

大谷翔平は甲子園で160キロを投げた?

甲子園本大会では投げていません。

160キロが出たのは夏の甲子園につながる岩手大会ですが、会場は岩手県営野球場です。

大谷が甲子園で出した最速球速とは分けて考える必要があります。

大谷翔平の甲子園での最速球速は何キロ?

確認できる最速は150キロです。

高校2年夏の帝京戦で150キロを記録し、高校3年春の大阪桐蔭戦でも150キロを計測しています。

大谷翔平は高校2年で151キロを出した?

高校2年時には「最速151キロ右腕」と報じられています。

2011年7月の日刊スポーツの記事で確認できるため、高校2年時点の自己最速として151キロを持っていたことは確認できます。

ただし、甲子園で151キロを記録したという意味ではありません。

大谷翔平が160キロを記録した相手はどこ?

一関学院高校です。

2012年7月19日の岩手大会準決勝で対戦しました。160キロを投じた打者は鈴木匡哉選手で、6回表2死二、三塁、フルカウントからの6球目で見逃し三振を奪っています。

大谷翔平が160キロを記録した球場はどこ?

岩手県営野球場です。

当日の試合記録にも、2012年7月19日に同球場で行われた岩手大会準決勝として残っています。

160キロの前の自己最速は何キロ?

2012年7月13日の水沢工戦で記録した153キロです。

それまでの自己最速151キロを2キロ更新し、その6日後の一関学院戦でさらに160キロまで更新しました。

高校1年の最速は何キロだった?

確認しやすい公式戦上の記録としては、1年秋の秋季東北大会・学法福島戦での147キロがあります。

入学直後については、佐々木洋監督の後年の回想では130キロ台中盤、別の当時報道では143キロという数字があり、資料によって差があります。

そのため、入学時の数字については一つの数値だけを断定しないほうが正確です。

高校最後に記録した主な球速は160キロ?

自己最速は160キロですが、160キロを記録した後にも投手として登板しています。

高校3年夏のU-18世界野球選手権では、韓国戦で最速156キロを記録し、12三振を奪いました。

したがって、高校時代の球速推移を最後まで追うなら、160キロの後にU-18で156キロを記録したところまで含めるとより正確です。

大谷翔平の高校時代の球速は「最速160キロ・甲子園最速150キロ」と覚えると分かりやすい

大谷翔平の高校時代の球速を理解するうえで最も大切なのは、高校時代全体の自己最速と甲子園での最速を分けることです。

大谷は花巻東高校入学後、1年秋には147キロを記録し、2年時には自己最速151キロまで伸ばしました。故障を抱えた2年夏の甲子園では150キロを記録し、3年春のセンバツでも大阪桐蔭を相手に150キロを計測しています。

そして高校3年夏。

2012年7月13日の水沢工戦で自己最速を153キロへ更新すると、その6日後の7月19日、岩手大会準決勝・一関学院戦で160キロを記録しました。

160キロを投じた打席では、157キロ、154キロ、157キロ、159キロ、157キロと150キロ台後半を連発した末、最後の6球目が160キロに到達しています。

試合全体でも99球中40球が150キロを超えており、160キロだけが孤立した数字ではありませんでした。

ただし、その160キロが出たのは甲子園本大会ではなく、岩手県営野球場で行われた岩手大会準決勝です。

大谷が高校時代に甲子園へ出場したのは2年夏と3年春で、確認できる甲子園での最速はいずれも150キロでした。160キロを記録した3年夏は岩手大会決勝で敗れたため、甲子園には出場していません。

したがって、大谷翔平の高校時代の球速は、

この記事の結論

「高校時代の最速は160キロ。甲子園での最速は150キロ。160キロを記録したのは高校3年夏の岩手大会準決勝・一関学院戦」

と整理すると、最も正確で分かりやすくなります。

高校時代全体の歩みを知りたい場合は「大谷翔平の高校時代・高校野球|花巻東での歩みと全体像」、甲子園の出場回数や試合結果を詳しく知りたい場合は「大谷翔平は甲子園に出た?出場回数・成績・結果」、球速向上と身体的な成長の関係を確認したい場合は「大谷翔平の高校時代の身長・体重・筋肉|トレーニングと怪我」へつなげると、それぞれの情報を混同せず理解できます。

出典・参考資料

この記事の事実確認に使用した主な出典です。リンクはすべて新しいタブで開きます。

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