村上宗隆選手は、高校時代にどれくらいホームランを打っていたのでしょうか。
結論からいうと、九州学院高校での高校通算本塁打は52本です。出身校である九州学院高校も、2017年のドラフト会議後に公開した公式情報で「高校通算本塁打数は52」と明記しています。
ただし、52本という数字だけを見て「公式戦だけで52本」「甲子園でも何本も打っていた」と考えるのは正しくありません。
高校通算本塁打は地方大会や甲子園などの公式戦だけでなく、練習試合で打ったホームランも含む数字です。実際、村上宗隆選手が甲子園で打ったホームランは0本でした。
それでも、高校1年生でいきなり4番を任され、夏の熊本大会では最初の打席で満塁ホームラン。高校生活の後半には急速に本塁打数を伸ばし、3年夏には高校通算52号に到達しています。
この記事の要点
- 高校通算本塁打は52本
- 高校での初本塁打は1年5月の早稲田実業との練習試合
- 1年夏の熊本大会では最初の打席で満塁ホームラン
- 2年秋以降の実働約8カ月で35本塁打を記録
- 3年春には藤崎台球場で場外ホームラン
- 3年夏に高校通算52号へ到達
- 甲子園での本塁打は0本
- 高校最後の打席でも53号は出ず、52本で高校野球を終えた
この記事では単に「52本でした」で終わらせず、村上宗隆選手が高校時代にどのようにホームランを積み重ねたのか、なぜ52本という数字以上の長打力があると評価されたのかまで詳しく見ていきます。
村上宗隆の高校通算本塁打は52本
村上宗隆選手の高校時代のホームランについて、最も重要な答えは高校通算52本です。
九州学院高校の公式発表だけでなく、熊本県が公開した村上宗隆選手本人へのインタビューでも、高校通算ホームランは52本と紹介されています。複数の信頼性の高い資料で一致しているため、高校通算本塁打数については52本と考えて問題ありません。
| 項目 | 村上宗隆の高校時代の記録 |
|---|---|
| 出身高校 | 九州学院高校 |
| 高校通算本塁打 | 52本 |
| 高校での初本塁打 | 1年5月・早稲田実業との練習試合 |
| 夏の大会初本塁打 | 1年夏・熊本大会初戦の満塁本塁打 |
| 3年夏開始時 | 高校通算51本 |
| 3年夏 | 高校通算52号を記録 |
| 甲子園本塁打 | 0本 |
| 甲子園での打撃成績 | 4打数0安打 |
九州学院公式も高校通算52本と明記している
村上宗隆選手の出身校である九州学院高校は、2017年10月26日のドラフト会議後、村上宗隆選手が東京ヤクルトスワローズから1位指名されたことを伝える記事を公開しています。
その中で、高校通算本塁打数について明確に52本と記載しています。
同記事では、村上宗隆選手が九州学院入学直後の大会から4番・一塁手を任され、1年夏に甲子園へ出場したこと、その後は捕手として活躍したことも紹介されています。
つまり村上宗隆選手は、3年生になって突然本塁打を量産して注目された選手ではありません。
高校へ入学した直後から打線の中心を任され、3年間を通じて長距離打者として評価され続けた末に、52本という数字まで積み上げています。
熊本県の本人インタビューでも52本と紹介されている
熊本県が公開した村上宗隆選手へのインタビューでも、九州学院高校時代について「高校通算ホームランは52本」と紹介されています。
本人は同インタビューで、高校1年夏には甲子園へ進んだものの、2年夏と3年夏はいずれも熊本大会決勝で敗れたことを振り返っています。
高校通算52本という華やかな数字を残した一方、高校野球そのものについては「悔しい」思い出の方が多かったという趣旨の振り返りもしており、ホームラン数と甲子園での実績には大きな違いがあります。
この点が、村上宗隆選手の高校時代を理解するときの重要なポイントです。
高校通算52本は公式戦だけのホームランではない
「村上宗隆は高校で52本も打った」と聞くと、地方大会や甲子園など公式戦だけで52本を記録したと思う人もいるかもしれません。
しかし、高校野球で使われる「高校通算本塁打」は、プロ野球の通算本塁打とは数え方が異なります。52本という数字を正しく評価するためには、まずこの違いを理解しておく必要があります。
高校通算本塁打には練習試合も含まれる
共同通信の用語解説によると、高校通算本塁打には地方大会や甲子園などの公式戦に加えて、練習試合で放ったホームランも含まれます。さらに、公式記録ではなく、選手側の申告や報道各社のアンケートなどを基に集計される数字です。
そのため、村上宗隆選手の高校通算52本についても、次のように理解する必要があります。
高校通算本塁打を見るときの注意点
- 熊本大会など公式戦で打ったホームランを含む
- 甲子園で打ったホームランがあれば含まれる
- 他校との練習試合で打ったホームランも含まれる
- 日本高校野球連盟が統一条件で管理している公式記録ではない
- 試合数や球場の広さ、対戦相手の力量などは選手ごとに異なる
したがって、「52本=公式戦52本」と書くのは誤りです。
また、高校通算本塁打ランキングを見る際にも、本数だけを使って異なる選手の長打力を厳密に順位付けすることはできません。
村上宗隆の52本は練習試合での本塁打が多かった
村上宗隆選手の場合、高校通算52本という数字の中でも、練習試合でのホームランが大きな割合を占めていたことが分かっています。
九州学院時代の恩師・坂井宏安氏は2024年のスポニチの取材で、県内の高校からはまともに勝負してもらえないことが多く、積み上げた本塁打の多くが、腕試しで勝負してきた県外チームとの練習試合だったと説明しています。
これは、高校通算本塁打が練習試合込みだから価値が低い、という意味ではありません。
むしろ村上宗隆選手の場合、熊本県内では長打を警戒されて四球が増え、ホームランを打つ機会そのものが限られていた事情がありました。
「52」という数字を見るだけでは分からない部分です。
村上宗隆が高校時代に打ったホームランを時系列で振り返る
村上宗隆選手の高校通算52本すべてについて、対戦相手や日付、球場まで網羅した公的記録が公開されているわけではありません。
一方、報道によって確認できる重要なホームランはいくつもあります。それを時系列に並べると、1年生の春から3年夏まで、どのように52本へ到達したのかが見えやすくなります。
早稲田実業との練習試合で高校初本塁打
熊本大会の夏初打席で満塁本塁打
甲子園出場、4打数無安打で本塁打0
捕手へ転向し、一時は本塁打ペースが低下
実働約8カ月で35本塁打を記録
藤崎台球場で自身初の場外本塁打
慶応戦で推定130メートルの高校通算47号
熊本大会開幕時点で高校通算51本
高校通算52号を記録
53号は出ず、高校通算52本で終了
高校初本塁打は1年5月の早稲田実業戦
村上宗隆選手が高校で最初に放ったホームランとして確認できるのは、1年生だった2015年5月の早稲田実業との練習試合です。
日刊スポーツによると、この試合で村上宗隆選手は第1打席に高校初本塁打を放っています。しかも、対戦相手には同学年で当時すでに全国的な注目を集めていた清宮幸太郎選手がいました。
清宮幸太郎選手も同じ試合でホームランを打っていますが、一発を放ったのは村上宗隆選手の方が先でした。
高校入学からそれほど時間がたっていない5月の段階で本塁打を記録していたことになります。
この一発が、最終的に高校通算52本まで積み上げる村上宗隆選手の高校第1号でした。
1年夏の熊本大会では最初の打席で満塁ホームラン
高校時代の村上宗隆選手を一気に有名にした一発が、2015年夏の熊本大会初戦です。
九州学院は東稜高校と対戦。村上宗隆選手は1年生でありながら4番を任されました。
1回表、無死満塁。
高校球児として初めて迎えた夏の大会の打席で、村上宗隆選手はバックスクリーンへ満塁ホームランを放っています。
この試合では4打数3安打4打点。二塁打が出ればサイクル安打という内容でした。
熊本県の本人インタビューでも「1年生から4番」「初めての夏の大会第1打席で満塁ホームラン」という経歴が紹介されています。
ここで間違えやすいのが、「この満塁ホームランが高校初本塁打だった」という説明です。
実際には、5月の早稲田実業との練習試合ですでに高校初本塁打を記録しています。
正確には、東稜戦の満塁ホームランは高校で初めて迎えた夏の大会、その第1打席で放った一発です。
1年夏は熊本大会6試合すべてで4番を務めた
満塁本塁打だけが偶然飛び出したわけではありません。
村上宗隆選手は2015年の熊本大会6試合すべてで4番を務め、九州学院の甲子園出場に貢献しました。
日刊スポーツによると、熊本大会ではチームトップとなる8打点を記録しています。
高校1年生が強豪校の夏の大会で4番を任され続け、そのチームが甲子園出場を決めるというだけでも簡単なことではありません。
高校通算52本という最終的な数字に注目が集まりがちですが、村上宗隆選手の長距離打者としての評価は、すでに1年夏には始まっていました。
甲子園ではホームランを打てず4打数無安打
熊本大会を突破した九州学院は、第97回全国高校野球選手権大会に出場します。
村上宗隆選手も1年生ながら「4番・一塁手」で先発出場しました。
しかし、甲子園での結果は熊本大会とは対照的でした。
初戦の遊学館戦で4打席に立ち、三塁ゴロ、三塁ゴロ、中堅フライ、二塁ゴロ。4打数無安打で、もちろんホームランもありませんでした。九州学院も3対5で敗れています。
これが村上宗隆選手にとって高校時代唯一の甲子園出場となりました。
したがって、高校通算本塁打は52本ですが、甲子園通算本塁打は0本です。
1年秋の捕手転向後は本塁打のペースが一時落ちた
高校1年夏の甲子園では一塁手だった村上宗隆選手ですが、その後は捕手へ転向しています。
九州学院高校の公式情報でも、入学直後は4番・一塁手、その後は3番・捕手として活躍したことが確認できます。
捕手は守備の負担が大きいポジションです。
THE DIGESTによると、1年秋に捕手へ転向した影響もあり、その後は一時的にホームランの量産ペースが落ちたとされています。
ここだけを見ると、高校1年夏に強烈な印象を残したものの、そのまま順調に年間を通して本塁打を増やし続けたわけではありません。
むしろ高校生活の後半に再び本塁打ペースを大きく上げたことが、52本まで到達した大きなポイントでした。
2年秋以降の実働約8カ月で35本塁打を量産した
村上宗隆選手の高校通算52本を考えるうえで、とりわけ重要なのが高校生活後半の本塁打ペースです。
THE DIGESTによると、最高学年となった2年秋以降の約1年間、実働約8カ月で35本塁打を記録しています。
高校通算52本のうち35本ですから、単純計算では全体の約3分の2にあたります。
高校1年、2年、3年それぞれの正確な本塁打数について、統一した信頼できる学年別データは確認できません。
そのため「1年で○本、2年で○本、3年で○本」と断定するのは避けるべきです。
しかし、2年秋から高校生活の終盤にかけて35本を打ったという情報からは、村上宗隆選手が高校後半に急速に長打力を高めていったことが分かります。
最初から完成された52本塁打の打者だったのではなく、3年間の中で打者としてさらに成長し、本塁打の量産ペースを上げていったわけです。
3年生になるとホームランの飛距離もさらに伸びた
高校通算本塁打を見る場合、本数だけでは分からない要素があります。
その代表が飛距離です。村上宗隆選手の場合、高校3年生になると、本塁打数だけでなく打球そのものの大きさも注目されるようになりました。
高校最後の春から夏にかけての記録を見ると、プロのスカウトが長距離打者として高く評価していた理由がよく分かります。
3年春に藤崎台球場で自身初の場外ホームラン
2017年5月中旬、村上宗隆選手は藤崎台県営球場で行われた沖縄尚学との交流戦で、右翼方向へ場外ホームランを放ちました。
日刊スポーツによれば、本人にとって人生初の場外本塁打でした。
藤崎台球場は熊本県の高校野球でも主要な会場です。
GOETHEの記事では、外野が広く、本塁打が出にくい球場として知られる藤崎台球場で村上宗隆選手が3年春に場外本塁打を放ったことが紹介されています。
高校通算52本という本数だけでは、「狭いグラウンドで数を積み重ねたのではないか」という疑問を完全には解消できません。
しかし、本塁打が出にくいとされる主要球場でフェンスのさらに外まで飛ばした実績は、村上宗隆選手の飛距離を考えるうえで重要な材料です。
6月には推定130メートルの高校通算47号
場外本塁打だけではありません。
日刊スポーツによれば、2017年6月9日の慶応との試合では、右翼上段へ推定130メートルの高校通算47号を放っています。
同記事では、春先から約15本のホームランを記録していたことも紹介されています。
つまり3年春から夏にかけては、短期間で本塁打数を一気に積み上げていたことになります。
高校生活後半の約8カ月で35本を記録したというTHE DIGESTの情報とも、流れとして一致します。
この時期の村上宗隆選手は、単に安打の延長としてホームランが出ていたのではなく、飛距離のある打球を繰り返し放つ高校球界屈指の長距離打者になっていました。
夏の熊本大会開幕時は高校通算51本だった
高校最後の夏を迎えた時点で、村上宗隆選手は高校通算51本塁打まで数字を伸ばしていました。
2017年7月14日の熊本大会初戦を報じた日刊スポーツの記事では、村上宗隆選手を「高校通算51本塁打」と紹介しています。
この試合では本塁打を打てず、4打席で無安打、2四球でした。
高校最後の夏は51本からスタートしたことになります。
そして、その後に高校通算52号が生まれます。
3年夏に高校通算52号へ到達
2017年7月、熊本大会を戦っていた村上宗隆選手は、3回の打席で高校通算52号本塁打を放ちました。
当時のスポニチの記事一覧にも「九州学院・村上 通算52号」と記録されており、同日の報道でも高校通算52号到達が伝えられています。
興味深いのは、夏の大会でホームランを打ったのが、1年夏の初打席で放った満塁本塁打以来だったことです。
つまり、高校3年間の夏の大会という範囲で見ると、象徴的なホームランは大きく二つあります。
夏の大会で特に象徴的な2本
- 1年夏:最初の打席で満塁ホームラン
- 3年夏:高校通算52号ホームラン
1年生で鮮烈な満塁弾を放ち、高校最後の夏には最終的な通算記録となる52号へ到達しました。
高校時代のホームランを時系列で追うなら、この二つは外せない一発です。
高校通算52本で終わり、53号は生まれなかった
村上宗隆選手が3年夏に高校通算52号を打った後、もう1本ホームランを打っていれば通算53本でした。
しかし、高校野球最後の日まで53号が生まれることはありませんでした。そのため、最終的な高校通算本塁打数が52本で確定しています。
最後の試合まで見ると、「52本」という数字がどこで止まったのかもはっきりします。
高校最後の夏も甲子園まであと一歩だった
村上宗隆選手は高校2年夏、3年夏ともに九州学院を熊本大会決勝まで導きました。
しかし、いずれも秀岳館高校に敗れています。
熊本県の本人インタビューでも、1年夏は甲子園へ行けたものの、2年と3年はいずれも夏の県大会決勝で敗れたと振り返っています。
当時の秀岳館は全国でも上位まで勝ち進んでいた強豪でした。
村上宗隆選手は高校1年で甲子園を経験したものの、成長して本塁打を量産するようになった2年、3年では全国大会へ戻ることができませんでした。
結果として、最も長打力が高まっていた時期の村上宗隆選手を甲子園で見る機会はありませんでした。
高校最後の打席は見逃し三振だった
村上宗隆選手の高校野球最後の打席では、ホームランは生まれませんでした。
Numberの記事によると、高校最後の打席は秀岳館の田浦文丸投手との対戦で、見逃しの3球三振でした。
そのため、高校通算53号が生まれることはなく、最終記録は52本となりました。
3年夏に52号まで到達し、最後の試合でも相手から強く警戒されながら打席に立ち、高校野球を終える。
「高校通算52本」という数字だけを見るより、最後の一打まで追うことで、その数字が完成した過程が分かります。
村上宗隆の52本はなぜ「数字以上」と評価されたのか
村上宗隆選手の高校通算52本は、同世代の清宮幸太郎選手の111本などと比べると、本数だけではトップではありません。
それでも九州学院高校は、村上宗隆選手について「長打力は数字以上」と評価されていたと明記しています。
なぜ52本以上の長打力があると見られていたのでしょうか。
その理由をたどると、相手投手から受けていた警戒、打球の飛距離、本塁打を打った相手など、本数だけでは分からない要素が見えてきます。
高校通算52本が「数字以上」と評価された主な理由
- 相手から勝負を避けられ、四球が非常に多かった
- 県外チームとの練習試合では長打を重ねていた
- 藤崎台球場で場外ホームランを記録した
- 推定130メートルの本塁打も放っていた
打席の半分ほどが四球だったという恩師の証言
村上宗隆選手の52本を考えるうえで最も重要なのが、四球の多さです。
九州学院高校の坂井宏安元監督はNumberの取材で、村上宗隆選手の打席について半分ほどが四球だったと振り返っています。公式戦では勝負を避けられることが多く、練習試合でも好機で村上宗隆選手に打順が回ると四球になるケースが多かったという趣旨の証言です。
九州学院高校の公式発表にも、3年間を通して四死球が極めて多かったため、長打力は高校通算52本という数字以上と評価されていたことが記されています。
ホームランを増やすには、当然ながらストライクゾーンで勝負してもらう必要があります。
四球が増えれば、そもそもバットを振って本塁打を狙える機会が減ります。
村上宗隆選手の場合は、52本という結果だけでなく、相手が勝負を避けるほど警戒していたという点もセットで見る必要があります。
ボール球まで無理に打ちにいかなかった
強打者が勝負を避けられれば、「何とか打ちたい」という気持ちからボール球に手を出してしまうこともあります。
しかし坂井元監督によると、村上宗隆選手は打ちたいからといって無理にボール球を追いかけるタイプではありませんでした。
2024年のスポニチの記事でも、高校時代から「ボール球に手を出さない」ことを指導されていたと紹介されています。
これは高校通算本塁打を考える際に意外と重要です。
本塁打数だけを増やすことを優先するなら、多少際どいボールにも手を出したくなります。
一方、村上宗隆選手は四球を選んでチームの好機を広げることも受け入れていました。
ホームランを打つ能力がありながら、相手が勝負してこなければ無理に数字を追わない。その結果として残ったのが52本だったと見ることができます。
本塁打の多くは県外チームとの練習試合だった
前述したとおり、坂井元監督は2024年のスポニチの取材で、村上宗隆選手が県内ではなかなか勝負してもらえず、ホームランの多くは県外チームとの練習試合で生まれたと説明しています。
県外から九州学院と対戦するチームにとって、注目打者の村上宗隆選手との勝負は投手の力を試す機会にもなります。
そこでストライクゾーンへ投げてもらえる機会が増え、本塁打につながっていたという構図です。
高校通算本塁打は練習試合を含むため、「練習試合の本数だから価値がない」と考えるのは単純すぎます。
誰と対戦し、どのような状況で勝負され、その中でどの程度飛ばしていたのかまで見る必要があります。
広い藤崎台球場でも場外まで飛ばした
高校通算本塁打は、使用する球場の広さによっても数字が左右されます。
共同通信の用語解説でも、高校通算本塁打は試合数や対戦相手との力量関係などに影響され、本数だけで単純比較するのは難しいとされています。
その意味で、村上宗隆選手が藤崎台球場で放った場外本塁打は注目に値します。
GOETHEでは、藤崎台球場を本塁打が出にくい広い球場として紹介したうえで、村上宗隆選手が3年春に場外まで飛ばしたことを伝えています。
さらに日刊スポーツでは、本人にとって人生初の場外弾だったことに加え、別の試合では推定130メートルの高校通算47号を記録したことも報じています。
この飛距離まで考えると、52本という本数以外にも、プロのスカウトが注目するだけの長打力があったことが分かります。
村上宗隆の甲子園本塁打が0本だった理由
「高校通算52本なら、甲子園でもホームランを打っていたはず」と考える人は少なくないでしょう。
しかし、村上宗隆選手の甲子園通算本塁打は0本です。
これは長打力が全国では通用しなかったことを意味するわけではありません。高校時代に甲子園で打席に立った機会そのものが極めて少なかったためです。
数字を分けて見ると分かりやすいです。
- 高校通算本塁打:52本
- 甲子園通算本塁打:0本
- 甲子園出場:高校1年夏の1大会
- 甲子園での打撃成績:4打数0安打
甲子園出場は高校1年夏の1大会だけ
村上宗隆選手が高校時代に甲子園へ出場したのは、1年生だった2015年夏だけです。
九州学院は初戦となる2回戦で遊学館と対戦しました。
村上宗隆選手は4番・一塁手として先発し、4打数無安打でした。
打席結果は次のとおりです。
- 第1打席:三塁ゴロ
- 第2打席:三塁ゴロ
- 第3打席:中堅フライ
- 第4打席:二塁ゴロ
九州学院は3対5で敗戦。
この1試合で大会を終えたため、村上宗隆選手の高校時代の甲子園打席は実質的にこの4打席だけでした。
52本と0本は対象となる試合数がまったく違う
「高校通算52本」と「甲子園通算0本」は数字だけを見ると大きな差があります。
しかし、両者は同じ条件で比較できません。
高校通算52本は、3年間に行われた公式戦と練習試合を幅広く含む数字です。
一方、甲子園では1試合4打数しか経験していません。
わずか4打席でホームランが出なかったことを理由に、高校時代の長打力を低く評価することはできません。
むしろ村上宗隆選手は、甲子園出場後の高校生活後半になって大きく本塁打数を伸ばしています。
2年秋以降の実働約8カ月で35本塁打を記録しているため、長距離打者として最も成長した時期には甲子園で打席に立つ機会がなかったことになります。
2年夏と3年夏は熊本大会決勝で敗退した
村上宗隆選手は2年夏、3年夏ともに熊本大会決勝まで進みましたが、秀岳館に敗れました。
そのため、1年夏以降は甲子園へ戻れませんでした。
本人も熊本県のインタビューで、1年夏こそ甲子園へ行けたものの、2年と3年はどちらも県大会決勝で敗れたことを振り返っています。
もし高校2年や3年でも甲子園に出場していれば本塁打を打った可能性はありますが、それはあくまで仮定です。
記録として確認できる事実は、高校通算52本、甲子園通算0本です。
この二つを混同しないことが重要です。
高校通算52本は同世代の強打者と比べて多かったのか
村上宗隆選手の52本がどの程度の数字だったのか知るため、同じ2017年ドラフト世代の強打者と比べてみましょう。
ただし、高校通算本塁打は公式記録ではありません。学校ごとの練習試合数や球場条件も異なるため、純粋な打力ランキングとして扱うのではなく、当時の長距離打者としての実績を見る目安にするのが適切です。
清宮幸太郎は高校通算111本、安田尚憲は65本
同世代で最も注目された長距離打者の一人が、早稲田実業の清宮幸太郎選手です。
高校通算111本塁打を記録し、2017年ドラフトでは7球団が1位指名しました。
履正社高校の安田尚憲選手も高校通算65本塁打を記録しており、こちらもドラフト1位級の強打者として評価されていました。
| 選手 | 高校 | 高校通算本塁打 |
|---|---|---|
| 清宮幸太郎 | 早稲田実業 | 111本 |
| 安田尚憲 | 履正社 | 65本 |
| 村上宗隆 | 九州学院 | 52本 |
単純な本数だけなら、村上宗隆選手の52本は清宮幸太郎選手や安田尚憲選手を下回ります。
しかし、これだけでプロからの評価が低かったわけではありません。
村上宗隆も2017年ドラフトで3球団が競合した
2017年のドラフト会議では、ヤクルトは最初に清宮幸太郎選手を1位指名しましたが抽選で外れました。
その後の再指名で村上宗隆選手を指名し、巨人、楽天と3球団の競合になった末、ヤクルトが交渉権を獲得しています。NPBの公式ドラフト記録でも確認できます。
つまり、村上宗隆選手は高校通算本塁打数で世代1位ではなくても、プロ側からドラフト1位級の素材として評価されていました。
九州学院高校が「四死球が極めて多く、長打力は数字以上」と説明している点とも一致します。
高校通算本塁打数だけでは、選手の評価すべてを説明できない好例といえるでしょう。
村上宗隆の高校通算ホームランを見るときの注意点
村上宗隆選手について検索すると、「高校通算52本」「甲子園0本」「清宮幸太郎は111本」といった数字が並びます。
数字は分かりやすい一方、条件を知らずに比較すると誤解も生まれます。
村上宗隆選手の高校時代のホームランを正しく理解するため、特に注意したい点を整理します。
52本という数字を比較するときは、次の4点に注意が必要です。
- 高校通算本塁打は公式記録ではない
- 公式戦と練習試合の完全な内訳は確認しにくい
- 学年別の正確な本数も断定しにくい
- 歴代順位は後の選手によって変動する
高校通算本塁打は公式記録ではない
最も大切なのは、高校通算本塁打がプロ野球のような公式記録ではないことです。
公式戦と練習試合の本塁打を合わせた数字であり、選手や学校、報道側の集計を基に紹介されています。
そのため、52本すべてについて、
「いつ」 「どの球場で」 「誰から」 「何メートル飛ばしたか」
というデータが一括して公的に管理されているわけではありません。
52本の公式戦・練習試合別の完全な内訳は確認しにくい
「52本のうち公式戦は何本だったのか」と気になる人もいるでしょう。
しかし、今回確認できる学校公式資料や主要報道では、52本について公式戦○本、練習試合○本という完全な内訳までは示されていません。
恩師の坂井元監督によって、ホームランの多くが県外チームとの練習試合だったことは明かされています。
一方、それだけを根拠に正確な本数まで推測することはできません。
確認できていない数字を無理に補完するより、「最終的な高校通算52本は確認できるが、公式戦と練習試合の完全な内訳は公開資料では確認できない」とするのが安全です。
学年別の本塁打数も断定しない方がよい
同様に、「1年○本、2年○本、3年○本」という学年別の完全な内訳も注意が必要です。
信頼できる情報として確認できるのは、最終的な52本に加えて、2年秋以降の実働約8カ月で35本を記録したこと、3年夏の大会開始時点で51本だったことなどです。
この情報だけでも、高校生活後半に急激にホームラン数を伸ばしたことは十分に分かります。
根拠のはっきりしない学年別本数を掲載する必要はありません。
歴代順位は固定的な情報として扱わない
「村上宗隆の52本は高校歴代何位?」という疑問も出てきます。
しかし、高校通算本塁打はそもそも公式記録ではなく、さらに後の世代から記録を伸ばす選手が登場すれば順位は変化します。
共同通信の解説でも、過去の記録が不明なことなどから、本数だけで単純比較することは難しいとされています。
そのため、変動する歴代順位よりも、高校通算52本を記録した長距離打者だったという事実を中心に見る方が適切です。
村上宗隆の高校通算本塁打に関するよくある質問
最後に、村上宗隆選手の高校時代のホームランについて疑問になりやすい点を整理します。
高校初本塁打、夏の大会初本塁打、高校通算52号、甲子園での本塁打はそれぞれ別の記録なので、分けて理解すると分かりやすくなります。
村上宗隆は高校通算52本、甲子園では0本だった
村上宗隆選手の高校通算本塁打は52本です。
ただし、この52本は単なる最終数字だけを見るより、どのように積み上げたのかを追った方が高校時代の姿を正確に理解できます。
高校での初本塁打は1年5月の早稲田実業との練習試合。
同年夏には熊本大会の最初の打席で満塁ホームランを放ち、1年生ながら九州学院の4番として甲子園へ進みました。
一方、甲子園では4打数無安打で、本塁打は0本です。
1年秋に捕手へ転向して一時は本塁打ペースが落ちたものの、2年秋以降の実働約8カ月で35本を量産。3年春には藤崎台球場で場外本塁打を放ち、6月には推定130メートルの通算47号、最後の夏には高校通算52号まで数字を伸ばしました。
そして53号は生まれないまま、高校最後の打席を迎えます。
最終的な高校通算記録は52本で確定しました。
さらに重要なのは、相手から勝負を避けられることが多かった点です。
九州学院高校は3年間で四死球が極めて多かったことから「長打力は数字以上」と評価されていたと説明しており、恩師の坂井元監督も打席の半分ほどが四球だったと振り返っています。
そのため、村上宗隆選手の高校通算52本は、単純に他の高校生の本塁打数と比べるだけでは十分ではありません。
1年生から4番を任されたこと、後半約8カ月で35本を打ったこと、広い球場でも場外まで飛ばしたこと、そして多くの打席で勝負を避けられていたことまで含めて見ることで、高校時代から突出した長打力を持っていたことが分かります。
なお、村上宗隆選手が通った高校そのものや、高校時代の成績、甲子園出場、当時のポジション、捕手への転向、監督との関係などを詳しく知りたい場合は、「村上宗隆の高校はどこ?出身高校と高校時代の成績・甲子園・ポジション」で高校3年間の全体像を確認すると理解しやすくなります。
出典・参考資料
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- 《速報》プロ野球ドラフト会議 村上宗隆選手東京ヤクルトから1位指名!|九州学院高等学校
- 高校通算本塁打とは? 意味や使い方|コトバンク
- 「気になる!くまもと」Vol.1009 村上宗隆選手インタビュー|熊本県
- 九州学院1年村上 清宮より先に満弾デビュー/熊本|日刊スポーツ
- ヤクルト・村上 守り続ける高校時代の恩師・坂井元監督の教え「ボール球に手を出すな」|スポニチ
- 10代の最多本塁打記録を更新。「世代最強」に駆け上がった村上宗隆の成長の糧となった高校時代の好敵手|THE DIGEST
- 九州学院 対 遊学館-スコア速報-第97回高校野球選手権(2015)|日刊スポーツ
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